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人間ノーチラス・古川選手!艦船上の写真・発見寄贈

和歌山県橋本市古佐田出身の〝人間ノーチラス〟として名高いオリンピック水泳金メダリスト・古川勝(ふるかわ・まさる)選手(1936~93)――。その古川選手と交流のあった橋本商工会議所・元会頭の畑野富雄(はたの・とみお)さん(71)=同市学文路=は2月16日、古川選手が神戸港で海上自衛隊の潜水艦を見学している写真などを同市「前畑秀子・古川勝 資料展示館」に寄贈した。
57歳の若さで逝去した古川選手の写真資料などが少なく、同資料館が写真収集などに取り組んでいることを知った畑野さんは、自宅にある友人知人の保存写真を調べたところ、古川選手の潜水艦・見学写真12枚を含む計15枚と、新聞・連載記事の切り抜き5枚、若手をプールで育てるテレビ番組のDVD1本・CD1枚が見つかり、「お役に立てば」と寄贈した。
古川選手は、日本女性初のオリンピック水泳・金メダリスト・前畑秀子(まえはた・ひでこ)選手(1914~95)が優勝した年、すぐ近所で産声を上げた。前畑選手の少女時代と同じように、自宅近くの紀の川で泳ぎ、中学時代には前畑選手から「あなたの平泳ぎはとてもいい。平泳ぎでがんばりなさい」と励まされ、それが将来の金メダル獲得につながったという。
橋本中学校~県立橋本高校~日本大学時代に計32回の優勝。メルボルン・オリンピックでは2分34秒7で優勝するなど計7回もの世界新記録を樹立。
古川選手は飛び込んだ後、水中を猛スピードで進み、顔を上げた時は、すでに他を引き離していて、世界中から〝人間ノーチラス(原子力潜水艦)〟と讃えられた。
社会人としては神戸市内に家庭を持ち、神戸大丸・外商企画課長を務め、その後は大阪・阿倍野のスイミングスクール校長に就任。やがて発症した肺がんと戦いながらも、子どもや若手の水泳教育に励んだ。
今回、寄贈された写真は1991年(平成3)11月1日、海上自衛隊から招待され、古川選手と畑野さん、親交のある総合商社・兼松KK(当時・兼松江商)スポーツ本部長の宮本克己(みやもと・かつみ)さん(当時)らが、神戸港に停泊中の潜水艦を見学。古川選手ら3人は、同隊・阪神基地隊の上田征市(うえだ・せいいち)造修科長(当時)らとともに記念撮影されている。
新聞記事はスポーツ欄に掲載された「戦後スポーツ巨人伝」のタイトルの「元祖――古川勝」(上、中、下)連載や、潜水艦・見学から2年後、肺がんと戦いながら病床で「秋の紫綬褒章」を受章した記事、同年11月21日に逝去した「葬送」記事の計5枚。テレビ番組のDVDとCDは、酸素ボンベを携えながら、阿倍野のスイミングスクールで、若手教育に励む古川選手のひた向きな姿や、たくましい言葉が紹介されている。
畑野さんは「古川選手は親戚のお宅のある、南海・学文路駅前に来られた際、ここで子どもの頃によく遊んだと懐かしそうでした」「私は古川選手より10数歳も年下ですが、大阪の喫茶店で優しく話し相手になってくれたり、お歳暮には金粉入りの灘の酒を贈ってくれたり、とてもやさしい人で、忘れられません」と述懐した。
同資料館の池西孝仁(いけにし・たかひと)担当は「貴重な資料ばかり。とても有難いです」と謝辞を述べ、「写真は今後、拡大して展示したり、CDはパソコンなどで紹介したり。全国から訪れる皆様にご覧いただきたい」と話していた。
写真(上、下)は海上自衛隊の潜水艦見学で記念撮影する古川選手=向かって右から2人目(右端は畑野さん)。写真(中)は潜水艦の大砲に見入る古川選手=左=と畑野さん。

更新日:2020年2月17日 月曜日 00:00

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