橋本新聞について

高野山麓・橋本新聞社

(〒648・0072 和歌山県橋本市東家526の4)

設立の趣旨 代表 曽我一豊

私はこの度、「高野山麓・橋本新聞社」を立ち上げました。社名にある「高野山」は、和歌山県高野町の世界遺産「高野山」のことです。ここは約1200年前に弘法大師(空海)が開基した真言密教の聖地で、高野山真言宗総本山・金剛峯寺があり、今は世界中から訪れる観光客が絶えません。また、社名の「橋本」は、高野山の南麓を流れる紀ノ川流域に開けた和歌山県橋本市(人口約7万人)のことです。そのまま地名をとり、当地方の「電子新聞」の社名としました。橋本市は、まちの中程で大阪~高野山を結ぶ旧高野街道と、奈良~和歌山を結ぶ旧大和街道が交差していて。昔から大勢の人々がにぎにぎしく往来しました。とくに安土桃山時代には、名僧・応其(おうご)上人が、豊臣秀吉の高野山攻めを鎮め、紀ノ川に高野参詣の大橋を架け、秀吉の許諾を得て塩市を開くと、ますます活気づき、古都・奈良や商都・大阪に近い宿場町として発展しました。今では南海電鉄高野線・難波駅から列車で約45分。大阪府河内長野、奈良県五條両市に隣接した「紀州の北玄関」に位置しています。この地方は、雄大な山河に恵まれ、随所に万葉時代以来の名所旧跡が点在。紀州へら竿の日本一の産地であり、天下一の味とうたわれる柿の名産地でもあります。一方、同市内で20~30年前に開発された新興団地には、いわゆる「団塊の世代」が多く居住し、大阪の会社、官公庁に通勤。わが国の高度経済成長に大きく貢献しました。

しかし、今はほとんどが退職の時代を迎え、都市部に住む子息たちの家や、その近郊に移住するなど、団地の空洞化が目立ちます。さらに、世界的不況の中、JR・南海「橋本駅」前の商店街などは、シャッター通りと化し、若者たちは、都会へ都会へと、就職、結婚活動に走らざるを得ない有様です。市民有志は、「郷土を何とかしなければ」と、経済浮揚策に働く一方、地域文化を守り、文芸や音楽、演劇、絵画、書、写真などの道にも精進しています。市井(しせい)では、国や県、市の行政に対し、批判、あるいは希望の声が上がっています。ところが、残念ながら、これらの実情を伝え、情報を共有し、郷土を盛り上げる地方紙がありません。たまたま私は、約40年にわたる読売新聞記者生活のうち、当地方を約12年間担当。多くの友人、知己を得ました。彼らからは「その経験を郷土づくりに生かしてほしい」と発破をかけられます。そこで、パソコンさえあれば、いつでも、どこからでも、自由に無料で読むことができる「電子新聞」の設立を決心しました。このメディアには「速報性」があり、「紙幅(画面)」にもも制約がありません。従って社会事象の素早い「伝達ルート」であり、人々の活躍ぶりを映す「舞台」となり得ることでしょう。自由と平等、人権尊重、幸福と平和を希求、「知る権利」を大切にし、「パソコン画面」をフル活用して、地域の自然や歴史、人やまちの素晴らしさを全国発信したいと思います。ご愛読、ご支援ください。                 

(2011年3月1日)

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