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妙楽寺・鐘楼門の修復完了〜今秋〝慶讃法要〟へ

和歌山県橋本市東家の真言律宗「妙楽寺」(岩西彰真住職)で、鐘楼門(しょうろうもん)修復工事が完了し、江戸時代に建立された当時の美しく荘厳な姿をあらわした。同寺再建再興委員会(森下功会長)では、今秋「慶讃(けいさん)法要」を営む予定で、「大切な郷土の文化財を修復できてよかった」と喜んでいる。
同寺は奈良・西大寺の末寺。嵯峨天皇の勅願により、弘仁11年(820)に弘法大師・空海が開創し、姪の如一尼(にょいちに)が初代住職を務めた。織田信長の高野山攻めの際に焼失したが、その後、再興されている。
鐘楼門は、江戸時代中期~末期の建造物。入母屋造りで、屋根は本瓦葺き。屋根の東西には鯱(しゃちほこ)、四方で鬼瓦が空をにらみ、菊の御紋入り丸瓦で飾られている。長年の風雪で荒廃していたため、同寺再建再興委員会の依頼で、和歌山県指定の宮大工・平田建設(和歌山市)が、県文化財専門家の意見を聞きながら、今年4月、修復工事に着手していた。
屋根瓦は一度全部はがした後、鯱と鬼瓦は古いものを使い、丸瓦などは壊れたものを廃棄、丈夫なものを正面で使い、それ以外は類似形の新しい瓦を使った。建造部材の腐食部分については、高野山真言宗総本山・金剛峯寺から「妙楽寺鐘楼門修復用材 高野霊木授興候事」とする許諾を得て、高野山の霊木(杉やヒノキ)を使用。古色を塗って自然色に仕上げた。
釣鐘は戦時中、国に供出したが、戦後は戻され、橋本市原田の寺院・鐘楼で撞かれてきた。約10年前、釣鐘は妙楽寺に〝里帰り〟したが、鐘楼門が荒廃、倒壊の危険があるため、門の下に置かれていた。
今回、鐘楼門が頑丈に修復されたため、2階部分の天井に吊るされ、門内参道から、紐(ひも)を引っ張ると、滑車を通じて撞木(しゅもく)が動き、釣鐘を撞けるようにした。
一方、本堂は寄棟造りで、本瓦葺きだったが、老朽化と暴風雨で屋根が崩壊。昨年、再建を前提に撤去された。本尊・薬師如来座像と脇侍(わきじ)の大日如来座像、薬師如来座像の3体(県重要文化財)は、橋本市郷土資料館で保存されている。最近では、同寺所蔵の木造観音菩薩立像(奈良時代後期〜平安時代初期)が、紀の川筋で最古の仏像とわかり、明るい話題になっている。
同再建再興委員会では、先ず鐘楼門を修復。将来は本堂も再建し、仏像を安置。文化財を後世に伝承したいとしている。
同委員会役員の奥村浩章さんは「とりあえず鐘楼門が完成したので、11月頃に鐘楼門の落慶、如一尼の1170回忌、本堂の地鎮祭の〝慶讃法要〟を営むよう、委員会に諮ることになっています。妙楽寺の本尊・薬師如来坐像や木造観音菩薩立像などは、郷土の人々の並々ならぬ努力で、今日まで安置・保存されてきました。私たちも頑張らないと…」と話した。
写真(上)は修復が完了した妙楽寺の鐘楼門=南西側から撮影。写真(中)は修復された妙楽寺・鐘楼門の鯱や鬼瓦。写真(下)は修復工事が完了した妙楽寺の鐘楼門=北東側から撮影。


更新日:2013年7月28日 日曜日 15:26

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