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観音立像は紀ノ川筋で最古…橋本・妙楽寺で確認

和歌山県橋本市東家の真言律宗・妙楽寺(岩西彰真住職)に伝わる観音菩薩立像が、県立博物館(伊東史朗館長)の調査で、「製作年代は紀ノ川筋で最古の、奈良時代後期~平安時代初期の文化財」であることが判明し、森下功・東家区長は7月27日夜、同寺で営まれた「きゅうり加持(かじ)」の行事の席で、参加区民に報告し、「お互いに大切に守り、心を込めて参拝しましょう」と訴えた。
この観音菩薩立像は、やさしい微笑をたたえた、高さ約46・2センチの木彫で、総ヒノキ製。頭上の大きな髻(もとどり)、穴を開けていない耳たぶ、美しい反りのある姿勢、天衣をまとい、裾に模様があり、質素な首飾りや腕輪などをつけた彫像。同博物館は、それらの特徴かから「制作年代は奈良時代後期~平安時代初期」と鑑定。紀ノ川筋で一番古い仏像であることが確認されたことになる。
同寺は820年(弘仁11)に嵯峨天皇の勅願で、弘法大師・空海が創建。今回、確認された観音菩薩立像は、同寺創建以前の製作ということになり、その経緯は不明だが、その古さに同寺責任役員らも驚いている。
同寺本堂や山門は老朽化したうえ、昨年の台風・豪雨で、本堂の屋根が崩落したため、同寺責任役員の奥村浩章さんらが、再建計画の前段階として、山門下に置いた釣鐘の調査を橋本市教委に依頼。市教委・学芸員が同寺の仏像も含めて写真撮影し、同博物館に送付した。
同博物館からは6月30日、学芸員1人が同寺を訪れ、観音菩薩立像について様々な角度から詳しく写真撮影。さらに7月18日には、伊東館長と学芸員2人が同寺を訪れ、森下区長や奥村さん、岩西康子さんを立会人に、観音菩薩立像の「像高46・2、髪際高39・4、面長5・7、肩幅9・8…」などと、精密な調査を行い、製作年代を割り出した。
同博物館は、この観音菩薩立像を評価し、10月20日~12月2日、同博物館で開催予定の企画展「高野山麓 祈りのかたち」に出展するよう依頼。同寺は快く出展を約束している。
奥村さんは博物館による調査の経緯と、文化財的な価値について説明し、「この朗報は、市教委が妙楽寺の仏像を片っ端から撮影し、同博物館の学芸員が、貴重さを直感して訪れ、さらに伊東館長まで調査に出向いてくれたお陰です。〝高野山麓 祈りのたち〟の展覧会で、ぜひ観音菩薩立像を見て、参拝拝してください」と話した。
森下区長は「約1000年もの長い間、受け継がれてきた観音菩薩ですので、皆さん大切に参拝しましょう」と訴えた。
同寺の創建時の建物は、南の大森26社権現社の西隣にあり、広大な敷地に七堂伽藍(しちどうがらん)が整い、淳和天皇(786~840)の時、同寺を空海の姪・如一尼が賜って、以来、尼寺として存続。戦国時代には、織田信長の高野山攻めのあおりを受けて焼失。何度か再興を繰り返したが、本堂と本尊・薬師如来座像、脇侍(わきじ)・大日如来座像、同・薬師如来座像の3体、さらに山門については、焼失を免れてきた。3体の古さは700年以上と推定されている。
江戸末期には〝一堂一僧坊〟に荒廃。寺領は上地令で政府に召し上げられ、無住寺、無檀家となり、山門、本堂、庫裏すべて老朽化。所蔵する仏像の損傷が気遣われた。和歌山県は2005年5月、この3体を重要文化財に指定し、橋本市郷土資料館で保存している。
写真(上)は奈良時代後期~平安時代初期の製作と判明した妙楽寺所蔵の観音菩薩立像のやさしい微笑。写真(中)は立ち姿も美しい妙楽寺の観音菩薩立像。写真(下)は妙楽寺の観音菩薩立像に見入る女性たち。

更新日:2012年7月27日 金曜日 23:08

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