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教育人生・半世紀、松山さん(80)新たな門出

和歌山県九度山町の教育委員会指導員で、紀州高野紙伝承体験資料館「紙遊苑」苑長、その前には小中学校教諭、中国国立大学の客員教授として活躍した松山健さん(80)が、約半世紀にわたる公職を退職した。その功績を知る多くの県民、教え子たちから惜しまれているが、松山さんは「今後も高野山・町石道の語り部養成や、ビデオ撮影講座などで働きたい」と、新たな人生の一歩を歩み出すことにしている。
松山さんは昭和36年、九度山中学校の教諭を振り出しに同45年、高野山中学校の教諭、同57年には和歌山県教育委員会・橋本教育事務所の指導主事、平成元年に中国・西南大学、同2年には中国・昆明理工大学で「日本概論」の客員教授を務め、同7年に帰国、九度山町教委の社会教育指導員となった。
昭和46年、和歌山で開かれた「黒潮国体」の際には、当時の皇太子殿下と美智子妃殿下を高野山にお迎えし、「女人禁制」や「生徒の進路」などについてのご質問に真摯におこたえした。
小中学校では、他校に先駆けて、教育にビデオ映像やスライドを取り入れ、それが評価されて「視聴覚教育功労賞」を受賞している。
また、弘法大師・空海が中国から製法を伝えたとされる地元産業の〝高野紙〟作りが、後継者難から途絶える寸前だったので、その伝承を考案。平成11年4月、荒廃していた地元の高野山真言宗「勝利寺」の庫裏(くり)を改修し、紀州高野紙伝承体験資料館「紙遊苑」を開苑。苑長を兼務した。
和紙の原料〝楮(こうぞ)作り〟や〝紙漉き技術〟を習得し、「紙遊苑」で小学生や観光客らに紙漉き体験を実施。小学生らは自分で漉いた高野紙の卒業証書をもらい、観光客らは色紙、はがき大の〝高野紙作品〟に大喜び。
それだけではない。平成12年4月には紙が主材料の「民芸和凧(わだこ)展」を開催。当初、日本凧の会会員の凧を展示したが「これではいけない」と発奮。九度山ゆかりの戦国武将・真田幸村ら親子3代と真田十勇士を自ら図案化、静岡県の広瀬凧三代目絵師・伊藤篤男さん(故人)に依頼・制作した。さらに全国の和凧を収集。「民芸和凧展」は毎年4月下旬〜5月上旬に開き、国内外の民芸凧100数十点を展示している。
また、弘法大師・空海が中国から、その種を漢方薬(下剤)として持ち帰ったとされる朝顔を栽培、平成16年7月から「朝顔展」を開催。さらに十一面観音像を祀る勝利寺は、難病治癒の信仰を集めていることから、欧米ではガン患者を勇気づけるとされる水仙(すいせん)を栽培。平成24年4月、「東日本大震災の被災者に勇気を」と祈り、水仙展を開いた。
この間、藁葺(わらぶき)屋根の「紙遊苑」の天井裏には、ムササビが穴を開けて棲みつき、常設している作品を破壊。そこで銃声や戦車の進撃音(テープ)を流したり、除虫噴霧剤をまいたりして撃退したが、自ら噴霧剤を吸い込み、10日ほど寝込んだ苦い経験もある。
それら苦心の甲斐あって「紙遊苑」は心を癒す楽しい場所として知られ、今では入苑者数も年間5600人に達している。松山さんは「紙遊苑では〝寺小屋〟も開き、子供たちに郷土史を教え、節分のお面作りもした。こけからも皆さんのお役に立ってほしい」と願う。
松山さんは今年3月末に退職したが、これまで小中学校の教育者だっただけでなく、約20年前にはNHK大阪放送局で、ビデオ撮影講座の講師を1年間にわたって担当。現在も和歌山県アマチュア映像連盟会長として活躍している。
松山さんは「昨年に続き、今年も高野口地区公民館で〝ビデオ撮影講座〟を開講したい。昨年はNHK投稿ビデオ講習でしたが、今年は例えば子ども、文化財、鉄道など、被写対象ごとに上手な撮影方法があることを教えたい」と話し、「世界遺産の高野山・町石道は、とくに大勢の参拝・観光客が訪れるので大切。その歴史を楽しく知ってもらうためにも、立派な語り部を養成したいと思っています」と、明るく抱負を語った。
写真(上)は橋本市御幸辻の友人宅で、花を愛でる松山さん(5月16日)。写真(中)は昨年の投稿ビデオ撮影講習会で講義する松山さん。写真(下)は平成23年4月に「紙遊苑」で開催した「民芸和凧展」を準備する松山さん。

更新日:2013年5月17日 金曜日 06:09

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