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古里の風景版画に〝随想文〟~巽さん出版準備
和歌山県橋本市妻に住む木版画家・巽好彦さん(76)は、1988年(昭和63)から、自分の作品の一枚一枚に、短い〝随想文〟を記して、アルバムにしている。巽さんは「将来、作品集を出版しようと思っています」と言う。巽さんの作品は、古里・橋本周辺の風景に、心情が込められており、出版を待ち望む人たちは多い。
巽さんは棟方志功の創設した日本板画院の同人(全国)、木版画・刀の会会員(関西)、紀北文人会会員(橋本)。1975年頃から「我流」で木版画を始め、89年に日本板画院で新人賞、その他、受賞多数を数え、91年に院友、93年に同人に推挙された実力派。
とくに、江戸時代の風景を描いた広重の浮世絵「東海道五十三次」と、古里・橋本周辺も描かれている「紀伊名所図会」に魅了され、それらの絵に類似した、橋本の古い町並みに着目。高野街道と大和街道が交差するまち、応其上人が紀ノ川に橋を架け、塩市が立ち、舟運が栄えた、古いたたずまいのあるまちを、丹念に作品に仕上げてきた。
たとえば、紀ノ川畔の三軒茶屋の灯篭(とうろう)などの「東家の渡し場跡」、平安時代の創建とされる「東家の妙楽寺」、紀州徳川家の安産祈願所「ふじの寺 子安地蔵寺」、橋本を築いた応其上人の「応其寺」など、いずれも臨場感のある作品ばかり。
〝随想文〟をつけた木版画作品のアルバムは、すでに計4冊約200ページにのぼる。「橋本上んたなの旧家」という題を付けたページでは、「橋本古佐田の上本町かいわいは〝上んたな〟の名で呼ばれていた。小さな商店が軒をつらね、町民にとり、日常生活に欠かせぬ通りであった。その中に映画館があり、好粋な料理屋やレコード店があり、本町通りにはない華やいだ通りの顔を見せていた(略)」とつづる。
また「川風の吹くまち」の題では「紀の川の流れも、ようやく橋本あたりでゆるくなる。橋本の町は、その流れの川岸の上に開けた街。向副の川岸から眺める町家の趣は、長い歴史の歩みの中から生み出された風情がにじみ出る。川上から川下へ新旧おりまぜた民家が並び、表通りとはちがった表情をみせ、〝裏の紀の川舟がつく いたらみてこい橋本御殿〟と唄われた、かつての繁栄をしのばせる(略)」と記す。
「お不動さん」のタイトルでは、「〝高野〟は高野山真言宗総本山金剛峯寺のあるお山。長い間、人々の信仰を集め、今も弘法大師がおわします。そのお山の中心、壇上伽藍近くに建つ国宝・不動堂は、現存する高野最古の建造物。その中にお祀りされる仏像は、鎌倉彫刻第一人者、運慶の作。八大童子を従え、この世の悪から身を守ってくださる姿がある。日本彫刻史上、特筆される仏像でもあり、とてもその姿を写しとる技と心のないものながら、版画にさせてもらう」というふうに書いている。
巽さんの橋本の風景作品は、郷土の木版画ファンの家に飾られ、お不動さんの木版画は、奈良県五條市の安井寺・本堂に掲げられている。巽さんは「私の好きな紀伊名所図会や、東海道五十三次には、人間の温かみが感じられます。それをしっかり見せてもらって、自分の心を耕していたら、どうも、誰かが種をまいてくださるようで、有難いです」ともらした。
江戸時代には、絵描き、彫師(ほりし)、擦師(すりし)がいたが、今はその3分野を1人で行う時代、そこへ巽さんは〝随想文〟も付けている。「へたな文章ですが、作品とともに、きちんと整理しておいて、みなさんに親しまれる作品集にしたいと思いまして」と語った。