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連載「橋本を彫る~巽好彦の世界~」その⑥
《応其寺》
〝おおごんじ〟さんの坂道は、古くからセメントの道。なんでも手作りでなければ、遊ぶ玩具のない時代に育った私らは、〝ガチ車〟なる乗り物を作り、思う存分、乗り回すには最高の坂道だった。友達と争って下った快感は、最高のものだった。今日もお葬式の看板が門前に立つ。ああ、あのお家の人が亡くなったのかと、面識はなくとも、どこか頭の中をよぎる思いは、同じ町に住む者の弔い心か。橋本の繁栄の基礎を築いた応其上人の寺は、私の幼少の頃の思い出の寺でもある。
《紀見峠》
汗をかきかき、この峠に登り立ち、紀伊の山々が目に入る。どれほど旅人の心を和ませたことか知れない。ここは昔の宿場町。今は、わずかに残った民家のたたずまいが、かつての峠の賑わいぶりを感じさせてくれる。南海電車の開通、国道・紀見トンネルの開通と、二度の大きな交通幹線の変化の中で、この紀見峠は、忘れることのできない風景である。
《橋本橋》
〝いたら見てこい橋本御殿、裏は紀の川、舟がつく〟――。かつて唄にまで唄われた、紀州徳川の藩邸があった。ここ橋本橋の橋詰。そして応其上人が、高野参詣の人たちのために、初めて紀の川に橋を架けたのが、この地の地名〝橋本〟の起こりとか。今、ここに姿は変われども、大きな橋が紀の川をまたぐ。人の想いも、この橋の上を行き交う。かつては、警察や行政機関が集まり、伊都の中心地でもあった。
(木板画・文=日本板画院同人・巽好彦さん)
写真(上)は応其寺。写真(中)は紀見峠。写真(下)は橋本橋。
更新日:2013年1月6日 日曜日 09:05