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橋本小30人犠牲!鉄道大惨事の新聞、図書館へ寄贈
ふるさとの児童・先生ら30人が死亡した山陽線・大惨事を忘れないようにと、和歌山県橋本市の鉄道ファンで構成する「はしもと鉄道ラブ」=森本宏(もりもと・ひろし)会長(85)=は3月2日、昭和13年(1938)の国鉄山陽線・列車大事故を報じた、全国紙12部を同市図書館へ寄贈した。暮橋節子(くれはし・せつこ)館長は「とても貴重な資料なので、大切に展示・保存したい」と言っている。
当時の新聞記事によると、橋本尋常小学校・高等科2年の児童71人と、引率の先生3人が、四国へ修学旅行。最終行程の金比羅宮や厳島神社めぐりを終えた同6月14日、宮島(現・宮島口)駅22時30分発の京都行夜行列車に乗り込んだ。
途中、広島駅で修学旅行生のためにと、機関車に木造車1両(他は鋼鉄車)増結され、児童らはこれに乗り移った。列車が豪雨の中を走行中の6月15日午前3時58分頃、熊山駅(岡山県)東方の築堤が崩壊、線路がハシゴ状に変形した所へ突入。
機関車と客車4両が4メートル下の崖下に転落。5両目の客車も脱線して、反対側の線路をふさぎ、そこへ下り列車が激突する二重事故となった。
この事故で木造車は全壊。児童18人と先生2人が即死、先生の1人は病院収容後に死亡。帰宅した児童のうち9人が後日、治療の甲斐もなく死亡、犠牲者は計30人となり、奇跡的に無傷だった1人を除いて全員が死傷した。
今回、寄贈された大阪朝日、大阪毎日の両新聞は、同16、17、18日の全国版・和歌山版の計12部で、各紙面には事故現場や死傷者の顔写真、その詳細を伝える本記・サイド記事で溢れている。
森本会長の説明によると、この新聞は同市古佐田の当時・毎日新聞販売店を経営していた高松重三(たかまつ・しげぞう)さん(故人)が戸棚に保管していた。
高松さんの孫で東京在住の研一(けんいち)さんが約50年前、帰郷した際に発見して、大切に自宅で保存。今回、全国ネット「高野山麓 橋本新聞」で、はしもと鉄道クラブの活動を知り、「お役に立てば」と贈ってくれたという。
森本さんは「極めて重要な資料であり、個人で保存すべきではない。事故の模様が皆様の目にとまるよう、図書館で永久保存、展示をお願いしました」と話した。
同図書館は、5年に1度のシステム入れ替え工事のため、3月22日〜同31日まで休館。暮橋館長は「その後、なるべく早く新聞コピーを展示し、新聞そのものは強固なカバーで、傷まないよう工夫、紹介したい」と話している。
追記=当時の同窓生「六友会」の著書「噫(ああ)!昭和十三年六月十五日」=昭和63年(1988)発行=は同図書館にある。丸山公園には地蔵菩薩像・供養塔、橋本小学校には殉職3先生の頌徳碑があり、表面には事故の模様、裏面には犠牲者30人の氏名が刻まれている。
写真(上)は橋本市図書館寄贈された山陽線・大惨事の大新聞=左は暮橋館長、右は森本会長。写真(中、下)は大惨事の模様が掲載されている全国紙の数々。