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故・阪口氏、鉄道界にも尽力♡森本宏会長が慰霊文
第二次世界大戦でシベリアに抑留され、帰国後は戦友を慰霊して、反戦平和を訴え続けた、和歌山県橋本市古佐田の阪口繁昭(さかぐち・しげあき)さん92歳が逝去して早や1か月を過ぎた。
鉄道愛好家でつくる「はしもと鉄道クラブ」の森本宏(もりもと・ひろむ)会長は、会報「はしもと鉄道だより」に、阪口さんへの慰霊文を掲載。戦友慰霊だけでなく、鉄道関係でも尽力した阪口さんの冥福を祈っている。
森本会長の慰霊文は、阪口さんの人物誌を残す貴重な証明でもあり、ここに紹介することにした。
「故・阪口繁昭氏を偲んで 森本宏
先月、橋本市古佐田の阪口繁昭さんがお亡くなりになりました。JR橋本駅の「ゆかいな図書館」が平成10年に開設以来、現在まで図書館の運営、維持に努められ、「鉄道の展示会をやってみないか」とのお誘いを受け、4回にわたって和歌山線の歴史や和歌山線の駅弁に関する展示会をお手伝いしました。
昨年の平成→令和改元記念の「お召列車」展示もその一つです。国鉄のSL、C57110が昭和56年から橋本駅に展示され、平成4年に現在の橋本市運動公園に移設されるまで、機関車の清掃を定期的にされておられました。
保存機関車はそれぞれその土地にゆかりのある機関車が設置されるのが通例なのに、和歌山線に縁もゆかりもないC57110が設置されたことに疑問を感じた私が、C57110の機関車履歴を調べると、昭和31年に参宮線で修学旅行生が多数死傷した事故機であることが判り、「橋本でも山陽線事故で修学旅行生が多数死傷しており、橋本にこの機関車が来たのも何かの縁」と阪口さんに話すと、早速、追悼をしようということになり、埼玉県の被害高校と連絡をとってC57110機の前で追悼の集いを執り行い、当時の各紙で報道された思い出があります。
昭和20年終戦前月に、橋本駅が米軍機の空襲を受け、停車中の貨物列車が銃撃され炎上し、6名の一般人が犠牲となりました。阪口さんは市内丸山公園に慰霊碑を建立し、毎年慰霊祭を執り行ってこられました。
現在の橋本駅の改築前に跨線橋があり、2・3番ホームには「大正元年九月」「鉄道院」「東京月島機械製作所」の標柱が、4・5番ホームには「大正十年十月」「梅鉢工場製作」の標柱があり、跨線橋側板や橋下の倉庫には米軍機機銃掃射の弾痕が残っていました。
私がこの話をすると阪口さんは当時の駅長に交渉し、JR西日本から正式に譲渡の許可を得ることが出来、平成23年、空襲犠牲者慰霊碑の横に保存することが出来ました。
阪口さんは、各学校や施設で自らの戦争体験を語って、戦争の悲惨さを訴え、交通安全・防犯活動に精を出し、古佐田区長として地域の皆さんの信頼も厚く、その多大な社会的貢献が認められて橋本市文化功労賞をはじめ多くの賞を受賞されています。ご冥福を祈ります。合掌」
写真(上)は橋本駅の米軍銃撃・犠牲者の慰霊碑と山陽線列車事故で犠牲になった橋本の児童らの地蔵菩薩め供養塔前で祈る車椅子の阪口さん(手前)=今年7月24日撮影。写真(中)は橋本駅近くから橋本市運動公園に移設されている国鉄のSL・C57110。写真(下)は橋本駅の「ゆかいな図書館」で開かれた鉄道写真展の一幕。