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手芸家中本さん初就職!妙中パイル織物で頑張る

日本一のパイル織物の産地、和歌山県橋本市高野口町向島の妙中パイル織物株式会社=妙中清剛(たえなか・きよたけ)社長(和歌山県中小企業団体中央会会長)=に今春、パイル織物を使った作品を作り続けている手芸家・中本敏子(なかもと・としこ)さんが、「50歳の節目」を迎えたのを契機に就職した。その仕事は、とても厳しく難しい経糸(たていと)操作の整経(せいけい)現場だ。中本さんは「しっかり先輩に学び、この本業に打ち込みたい」と誓い、妙中社長は「何はさておき、この仕事に励んでほしい」と期待している。
中本さんは昭和42年(1967)、高野口町の織物業の父と今は再織(さいおり)指導者である母との長女として誕生。同60年(1985)に編物講師・ニットデザイナー岩倉貴子(いわくら・たかこ)さんに師事。平成4年(1992)、結婚を機に本格的に創作活動に入った。
中本さんの作品には、例えば高野口パイルファブリック再織作品ドレス「バタフライ」(日本婦人発明家協会アイディア賞)や、キルト作品タペストリー「元気なリンゴの木の下で」(内藤商事株式会社賞)などがある。
橋本市産業文化会館で開いた個展「織屋の子に生まれて~編んだり縫ったり織ったりの暮らしの中で~」では、これら受賞作とともに、高野口パイルファブリックを使った「サニーちゃん人形」や、世界的数学者の岡潔(おか・きよし)博士、橋本の基礎を築いた応其上人の「橋本の偉人さん」なども出展。パイル織物ファンの心を魅了してきた。
また、自ら布絵で制作し、郷土史家・瀬崎浩孝(せざきひろたか)さんが監修した「①応其上人のおはなし」「②太閤さんと応其さん」(各13枚)は、和歌山県立図書館の手づくり紙芝居コンクール特別奨励賞を受賞。紀見地区公民館などで上演。
一方、イラストや手書き文で、高野口パイル織物の話題を紹介する「サニーちゃん通信」(A4判)を発行。繊維会社社長やパイル織物ファンら約100人に配布して、「暮らしに役立つ繊維」「サニーちゃん作品」「折々の気持ち」などを紹介。ふる里アピールに貢献してきた。
中本さんは「若い頃、本当は繊維会社で働き、好きな手芸は、本職を学んでから」と考えていたが、「一度、就職すると本職第一となり、手芸に打ち込めない」と考え、今日まできました。とうとう50歳を迎えたので、今しかないと思い、大切な整経現場で働かせてもらうことにしました」と言う。
高野口は江戸時代に木綿織物、後に川上ネルの産地、明治初期には再織(さいおり)という特殊織物の製法を創案。カーテンなどを米国に輸出。大正時代にはシール織物、昭和初期にはドイツの二重パイル織機を導入して発展。
昭和30年以降は、アクリル合成繊維が開発され、寝装品、インテリア、衣料、車両、産業資材などを製造・販売。例えば、国会議事堂や新幹線、観光バスの座席シート、欧米トップブランドの布地、玩具、雑貨、ぬいぐるみ、台所用品、OA機器トナーシール材など、広範囲に活用されている。
妙中パイル織物株式会社は、昭和25年(1950)に、「巨星妙中正一伝」(同伝記刊行会出版)で知られる故・妙中正一(しょういち)元・和歌山県議会議長が創業。今は二男の清剛社長=県中小企業団体中央会会長・紀州繊維工業協同組合理事長=が経営。主要製品は液晶パネル用ラビングクロス、電子材料用クロス、車輌・航空機用モケット、衣料用コットンベルベットなどがある。
中本さんの整経現場は、3000~5000本の経糸(計5キロ)を時速400キロで回転する機械操作で、綿密に巻き取っていく作業。これが完璧にできないと、優良商品はできない重要な職場である。
中本さんは「先輩の方々のご指導いただき、一日も早く整経作業を身につけたい。もちろん仕事が休みの日は、自宅で手芸を続けます。今は、本業が完璧にできてこそ、いい手芸品が作れるものと信じています」と張り切っている。
写真(上)は先輩から整経作業を学ぶ中本さん=左。写真(中)は妙中パイル織物株式会社。写真(下)は中本敏子さんの個展=橋本市産業文化会館=で行われた「再織実演」と中本さん=左から2人目。


更新日:2017年6月20日 火曜日 00:00

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