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御所車に〝空海の母〟鎮座~有吉玉青さん扮す

小説「紀ノ川」の著者・有吉佐和子(ありよし・さわこ)さんの長女・玉青(たまお)さん(51)=東京都=は、高野山開創1200年記念大法会中の4月8日、同小説の舞台となった和歌山県九度山町の高野山真言宗別格本山・慈尊院で営まれた「落慶・ご母堂法会(ごぼどうほうえ)」に参加し、集まった大勢の参拝・観光客を喜ばせた。
慈尊院は、弘法大師が弘仁7年(816)、高野山開創と同時に、高野山の表玄関の政所(まんどころ)として創建。空海の母・玉依御前(たまよりごぜん)は承和元年(834)、讃岐の国(香川県善通寺市)から高野山を目指したが、女人禁制のため大師に会えず、同院に滞在。大師は毎月九度、母に会いに下山し、翌年、83歳で永眠。大師も1か月後に入定(にゅうじょう)した。
一方、有吉佐和子さんは、和歌山市出身で、紀州を舞台にした「紀ノ川」「有田川」「日高川」「華岡青洲の妻」などの小説があり、とくに「紀ノ川」は、主人公・紀本花(きもと・はな)が明治初年、慈尊院の前方を流れる紀の川から、花嫁姿のまま舟に乗り、河口付近の有効(いさお)村まで嫁入りする。
この小説が映画化され、花(司葉子さん)が慈尊院に〝乳房型絵馬〟を奉納するシーンが放映されると、同院には全国から乳房型絵馬の奉納が相次ぎ、今では「安産の寺」としても名高い。
この日、有吉玉青さんは、慈尊院からの依頼で、玉依御前に身をやつし、特設の御所車(ヒノキ造り、長さ7メートル、幅2・2メートル、高さ3・5メートル、車輪=2・5メートル)に鎮座。
御所車は、紀の川左岸の道路に出て、金棒引き、和讃講、法螺貝(ほらがい)、子供遍路、僧侶の約150人の行列とともに、時代絵巻さながら、約700メートル先の慈尊院まで練り歩いた。
御所車を降りた玉青さんは、さらに慈尊院・山門をくぐり、導師で次期検校法印の東山泰清(ひがしやま・たいせい)蓮華院住職や、安念清邦(あんねん・せいほう)慈尊院住職らに続いて本堂に入堂。
玉依御前への奉告法会や、弥勒堂・檜皮屋根(みろくどう・ひわだやね)葺き替え、多宝塔の解体修理落慶、秘仏本尊・木造弥勒菩薩座像(みろくぼさつざぞう=国宝)の開帳法会に心を奉げた。
その玉青さんの、物静かな動作に、集まった大勢の参拝・観光客らは「まさか有吉佐和子さんの娘さんに会えるとは」と驚き、写真撮影に夢中だった。
玉青さんは「慈尊院は母の小説の舞台ですし、これまで何度も来させてもらっています。私は慈尊院が好きなので、今回の玉依御前のお役、お受け致しました。誠に光栄に思っています」と、物静かに話していた。
写真(上)はカメラに囲まれる御所車に鎮座した玉依御前・有吉玉青さん。写真(中)は慈尊院に向って紀の川沿いを練り歩く有吉玉青さんを載せた御所車。写真(下)は本堂に入堂する有吉玉青さん。

更新日:2015年4月8日 水曜日 23:13

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