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瀧本・元橋本高校長が観音像修復~西行庵落慶法要

平安時代末期の歌人・西行法師ゆかりの和歌山県橋本市清水の「西行庵」が再建され、3月27日、地元の高野山真言宗「永楽寺」の下田隆宗住職や関係者らが参集し。落慶法要が営まれた。同庵の西国33所の観音像を修復奉仕した元県立橋本高校校長の瀧本浩邑さん(66)ら参列者は「西行庵が立派に再建され、本尊・地蔵菩薩坐像など諸仏が、元の場所に祀られてよかった」と喜んでいた。
新しい西行庵は、木造平屋建て瓦葺(34平方メートル)。表には鉦緒(かねお)を吊るし、花台を設置。内部の広い仏壇には、珍しい地蔵菩薩の坐像や西行像など6体、その東隣の引き戸のある仏壇には、西国33所巡りの小さな観音菩薩像33体を安置した。
観音菩薩像は、御手や光背などが外れ、埃(ほこり)まみれになっていたが、瀧本さんが観音菩薩の描かれた「那智山の掛け軸」を参照し、丹精込めて修復。埃は筆で払い落とした。すべての観音菩薩像の前には、例えば「二番 紀伊 紀三井寺」などと筆書きした木札を立てた。
旧・西行庵は、シロアリに食われるなど、荒廃はなはだしかったが、地元の篤志家の浄財により、再建が見事成就。橋本市郷土資料館で、一時保存していた諸仏を、改めて安置した。
この日、西行庵には約50人の善男善女が参集。下田住職が厳かに読経し、諸仏の開眼法要、建物の落慶法要を執り行い、善男善女は一心不乱に手を合わせていた。
下田住職が「荒廃したとはいえ、古い建物を撤去するのは残念でしたが、今は、皆さんのお陰で、このように立派な西行庵を再建することができました。また、傷みがひどかった西国33所の観音菩薩像は、瀧本様のご尽力で、美しく修復されました」と感謝。瀧本さんは「私は日曜大工が好きなものですから、このように〝有難いこと〟をさせていただきました」と説明した。
最後に餅まきをして、諸仏開眼、建物落慶を祝った。
西行庵は橋本市立清水小学校の北側、高野山麓の旧・高野街道わきに建つ。江戸時代の紀伊名所図会に描かれ「地蔵堂」と呼ばれてきた。同庵東側には「国城の里 観音霊場巡拝 六番札所」と掲示され、石の地蔵尊が祀られている。
写真(上)は西国33所の観音菩薩像を修復奉仕した元橋本高校校長の瀧本さん。写真(中)は再建された西行庵で営まれた落慶法要。写真(下)は集まった善男善女と再建された西行庵。


更新日:2013年3月27日 水曜日 14:02

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