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役小角ゆかり〝東覚寺〟を拝観~仏像移し修復中
目を瞑っていると、自然の音がよく聴こえる。小川のせせらぎ、鵯(ひよどり)の声、枯葉の風音…。ここは和歌山県橋本市隅田町山内の山懐(やまふところ)にある真言宗・結界山「東覚寺(とうかくじ)」。JR・南海橋本駅から、車でわずか15分程の近場なのに、自分の息さえ聴こえるほどの、静かな世界である。
「うちから、お寺が見えるでしょう。今、あのお寺は修復中ですが、小さいながらも、なかなか立派な造りですよ」
半月程前、行き付けのカフェ&ギャラリー「藪椿(やぶつばき)」(同市恋野)で、陶芸家の北森義人さんから、そう聞いていたので、仕事の合間を見て、一人訪れてみた。
北森さん宅は、お留守だったので、勝手ながら敷地に車を置かせてもらい、坂道を登る。両側には白壁の蔵があり、煙出し付きの旧家が構えている。道沿いの山茶花(さざんか)は満開、南天の実は真っ赤である。
さらに、段々畑の間を行くと、小川のそばに東覚寺が見えてきた。その前に立ち、しばらく目をつむり、自然の音の中、心を整える。三十数段の石段をのぼると、正面に本堂、右手に鐘楼があった。
確かに本堂は修復中で、屋根はブルーシートに覆われ、堂内の仏像の一切は、橋本市郷土資料館に運ばれていて、今は何一つ残されていない。
建物は、北森さんが言った通り、本堂の柱も梁(はり)も、頑丈な骨組みになっている。それを今、丁寧に修復中。そこに立っているだけで、地元の人たちの、信仰心の深さが伝わってくる。
橋本市郷土資料館によると、東覚寺の本尊は、薬師如来像(石彫)で、これは修験道の開祖・役小角(えんのおづの)が葛城山系の山々で修行中に彫刻、同寺を開山したと伝えられる。
残念ながら、同寺は元禄15年、さらに享保5年の火災で、宝蔵・鐘楼などを焼失したため、寺暦はまったく不明だが、それでも、さすがに修験者が選んだ霊地。寺は日当たりのいい山懐に抱かれ、南に視界が広がり、段々畑の向こうに山内の家々、遠くには高野山系の連峰が見渡せた。
その爽快さに加えて、もう一つ、にっこりさせてくれたのは、境内東隅に「十二支の御守本尊」(平成2年建立)なる仏像が祀られていることだった。
向って左端の千手観世音菩薩から、右端の阿弥陀如来まで、計8体の仏像がならぴ、子年(ねどし)生まれなら千手観世音菩薩、戌・亥年(いぬ・いどし)生まれなら阿弥陀如来が御守本尊ということで、自分の干支の仏像に対し、衷心より祈れば、本願が叶うというものである。
それでも、よくよく考えてみれば、むしろ、自分のご本尊はさておいて、家族や友人のご本尊に手を合わせるべきだろうと開眼?し、8体すべてに合掌したら、心は不思議に晴れてくるのはどうしたことか。
一旦、北側の小高い山から、寺のたたずまいを見渡し、今度は、寺を振り返りながら下りると、薄日の中で全身が温もってきて、首筋をなでる風が気持ちいい。
「そうそう、せっかく修復中の本堂を拝観したのだから、東覚寺の仏像も見ておかなければ」と思い立ち、帰りがけに、橋本市郷土資料館に立ち寄ってみた。
ちょうど同寺の大日如来、大師像、地蔵菩薩、不動明王、多聞天と十二神将が保管・展示(今月27日まで)されていて、短い時間ながら拝観させてもらった。
ただ、この時、肝心の本尊・薬師如来(石仏)は、あの東覚寺の南側の祠(ほこら)に、そのまま安置されていると知って、「ああ、しまった。参拝しそこなった」と少々反省。本堂の修復落慶のあかつきに、お参りさせてもらうことにした。
冬帽子役行者の寺に来し
堂内はからっぽ冬の梁柱
(水津順風)
写真(上)は役小角創建と伝わる修復中の結界山「東覚寺」と鐘楼。写真(中)は東覚寺付近から展望した橋本の町並みと高野山系の山々。写真(下)は橋本市郷土資料館で保管展示されている仏像。