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橋本小30人の霊安かれ~昭和の大惨事・鉄道ク偲ぶ

橋本市内や周辺在住の鉄道ファンで構成する「はしもと鉄道クラブ」の森本宏(もりもと・ひろし)会長は2月例会で、橋本小学校修学旅行団が昭和13年(1938)、国鉄山陽線で事故に遭遇して、児童や先生計30人が死亡した大参事を取り上げ、資料を示しながら解説、全員で「霊安かれ」と祈って当時を偲んだ。
森本会長の寄稿文は次の通り。
昭和13年6月、当時の橋本尋常小学校高等科2年の児童71人と引率の先生3人は、大阪港を船で出発。四国の金比羅宮などを巡って、最終行程の厳島神社参拝を終え、楽しかった思い出と家族への土産を胸に6月14日、宮島(現・宮島口)駅22時30分発の京都行夜行列車に乗り込んだ。
途中の広島駅で修学旅行生のためにと、機関車の後ろに1両増結があり、これに乗り移ったが、この増結車が木造車(他は鋼鉄車)であったのが不運だった。
列車は豪雨の中を走行中、6月15日未明の3時58分頃、山陽本線・熊山駅(岡山県)東方で築堤が崩壊して線路がハシゴ状になっているところへ突入。機関車と後続の客車4両が4メートル下の崖下に転落し、5両目の客車も脱線して、反対側の線路をふさぎ、進行してきた下り列車が激突する二重事故が発生した。
児童らが乗った木造車は全壊し、児童18人と先生2人が即死、先生の1人は病院収容後に死亡。さらに帰宅した児童のうち9人が後日、施療の甲斐もなく死亡して、犠牲者は計30人となり、橋本小学校の一行は、奇跡的に無傷だった1人を除いて、全員が死傷した。
現代のようにテレビのない時代、瀕死の重傷を負いながら、児童の名を呼ぶ先生の様子が各紙で報道され、広く世間の同情を集めた。
数年前、自ら岡山の現地を訪れた際、偶然、山陽本線和気駅の谷弘安(たに・ひろやす)駅長と保線区員が慰霊碑の清掃中のところへ行き合わせた。
谷駅長は「慰霊碑は月2回、必ず献花させていただいています。これからも慰霊碑をお守りしていきますのでご安心ください。このことは歴代駅長の申し送り事項となっています」と述べた。
橋本市の丸山公園には、この列車事故犠牲者の慰霊・地蔵菩薩像が建立されており、傍らにある昭和20年(1945)の橋本駅空襲犠牲者慰霊碑と共に、古佐田人権サークルの人たちが維持・清掃に勤めている。
橋本小学校には現在、殉職3先生の頌徳碑があり、表面には事故の模様、裏面には犠牲者30人の氏名が彫られている。「はしもと鉄道クラブ」の会員たちは例会終了後、橋本小学校を訪れ、校長先生の許可を得て頌徳碑を参観し、犠牲者の冥福を祈った。
かつて橋本の町を揺るがした大参事なのに、その悲劇を知らない市民が多くなった。大切な命を奪われた大勢の子供たちのためにも、この事故を語り継いでいきたい。
写真(上)は橋本小学校の頌徳碑文を読む「はしもと鉄道クラブ」会員たち。写真(中)は丸山公園の慰霊碑地蔵菩薩像。写真(下)は2基建つ岡山現地の慰霊碑。

更新日:2019年2月27日 水曜日 00:00

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