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江戸後期・石の道標、黒河道に建立へ♪上西さん寄贈

和歌山県橋本市西横座の山中で発見された、出所不明の高野山参詣道の「石の道標」(江戸時代後期)が、11月4日、同市賢堂の世界遺産・黒河道(くろこみち)入口に建立されることが決まった。地元住民でつくる「黒河の会」=山本一清(やまもと・かずきよ)会長=から「ぜひ当地に建立を」との要望を受けて、発見者の玉川峡愛好会の上西進(うえにし・すすむ)会長が「それは〝石の道標〟も喜ぶことでしょう」と快諾した。長い間、山中で眠っていたこの「石の道標」は、奇跡的に高野山参詣道に戻ることになり、人々からロマンあふれる「お宝」として愛されそう。
この「石の道標」は高さ約80センチ、幅約50センチ、厚さ約40センチの石製で、柔軟な文字で「右 かうや道」と刻まれ、建立年代などの表記はない。石の一部は、火災か焚火のせいで、熱せられた赤みを帯びている。
上西さんが、11月1日、夫婦で親類所有の山中の空地で草刈り中、「この石を座椅子にしたい」という妻の言葉を受けて、石を起こしたところ、その表面に「右 かうや道」と刻まれていることを発見。橋本市教委の調べで、江戸時代後期に高野山参詣道のどこかに建立されていたものと判断された。
このことを新聞報道で知った山本会長は、11月4日、黒河道入口の高野山真言宗・定福寺で、上西会長と面談。「ぜひ、黒河道で活用させてほしい」と希望を述べ、上西会長は「石の道標が、皆さんのお役に立つなら」と即刻、寄贈を約束した。
この後「石の道標」の建立場所を相談した結果、定福寺南側のまさに「右・黒河道」「左・市道」という分岐点にある宮谷池堤防が最適地と判断。そこに再建立することに決めた。すぐ近くには美しい銀杏(いちょう)の巨樹や、地蔵尊を祀る祠などがあり、堤防には野菊が咲き乱れている。近々再建立される「石の道標」は、平成の世に眩しく輝きそう。
上西さんは「この石の道標は、江戸時代から、京大坂の多くの参拝・観光客を、道に迷わないように案内してきた、大切な郷土の文化財。何かの理由で長い間、山中に放置されていましたが、やっと日の目を見ることになる」と大喜び。
山本会長は「黒河道が橋本初の世界遺産に追加登録が決まったと思ったら、すかさず出所不明の〝石の道標〟があらわれて、それが上西さんのご厚意で、黒河道入口に建立できることになった」と、深く謝辞を述べていた。
写真(上)は「石の道標」を再建立される場所とした黒河道入口=左は山本さん、右は上西さん。写真(中)は橋本市西横座の山中で発見された「石の道標」=左は上西さん、左は山本さん。写真(下)は「石の道標」が建立される野菊もきれいな宮谷池の堤防。

更新日:2016年11月5日 土曜日 00:00

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