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中世・長藪城跡に感激♪城山小児童・城山に登る
和歌山県橋本市城山台の市立城山小学校=山田卓司(やまだ・たくじ)校長=の6年生児童は、校名にある「城山(しろやま)」とは何かを学ぼうと、11月2日、地元にある歴史的な城山に登り、中世の「長藪城跡(ながやぶじょうせき)めぐり」を行った。
この日、6年生54人とNPO法人ネットワーキング紀北や学校評議員、PTA、安全ボランティアら15人が同校視聴覚室に参集。講師の城郭研究家・吉田亘(よしだ・わたる)さんが「長藪城という城山は3つの山から成り、出城跡は標高300メートル、西の城と東の城の城跡は同347メートル」と説明。
「この長藪城は守護・畠山氏に仕えた牲川義春(にえがわ・よしはる)氏が、文明年間(1469~86)に築城。城郭の総延長は約1キロに及び、その規模は紀北第1級、紀伊国最大級とも称される」と紹介した。
さらに「長藪城は山の尾根伝いに堀切(ほりきり)を設けて、迫る敵兵を防いだり、城内を桝形(ますがた)に囲って、進入した敵兵を弓矢、鉄砲で防いだりした」ことをわかりやすく教えた。
この後、児童らは吉田さんや山田校長、サポーターらの先導で同校を出発。城山台の住宅地から、秋の樹林が生い茂る「城山」に分け入り、先ず「出城跡」、次に「西の城跡」、さらに「東の城跡」へと順番に見学。
吉田さんから、武士たちは「出城」で敵の軍勢を確認し、相手が多勢とわかった場合は、その出城を捨城(すてじろ)として、すぐさま「東の城」に移動。敵兵が簡単に追撃できないよう「堀切(ほりきり)」を設けたり、城郭内に侵攻されても、敵方を「桝形(ますがた)」でしっかり足止めし、弓矢や鉄砲で迎撃したりしたことなどを説明した。
道中、草むらに隠れた城郭跡を指で差し示しながら、「東の城」よりも新しいとされる土台のしっかりした「西の城跡」も紹介。途中、児童らは戦国時代の空気を感じながら、長藪城跡で持参の弁当を味わった。
午前10時40分に学校を出発し、午後2時40分に帰校した児童らは、「すぐそこに、すごい城跡があったとは」「きょうはとても楽しかった」と、全員感激した様子。山田校長はサポーターに謝辞を述べ、長藪城へ同行した「城山小・語ろう会」副会長の植山(うえやま)ひろむさんは「600年も前の城跡に驚きました。皆さんはもう少しで卒業ですが、長藪城のことについては、ちゃんと説明できますように」と激励。会長の浅井徹(あさい・とおる)さんは「子どもたちは、ふる里の自然の中で、学校名の由来を知り、地元の人たちと交流。いい思い出にしてほしい」と話していた。
写真(上)は長藪城を目指して山中を行く城山小児童たち。写真(中)は長藪城跡のある城山の遠景。写真(下)は城山小児童らに長藪城跡を説明する吉田さん。=重入正彦さん撮影。