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「神仏」を語り「悲恋」を歌い~丹生宮司&宮本静さん
高野山開創1200年記念「世界遺産 天野~高野と横笛の歌」が4月5日、和歌山市本町2丁目のフォルテワジマ4階ホールで開かれ、弘法大師・空海に高野山を貸与した和歌山県かつらぎ町上天野の丹生都比売(にゅうつひめ)神社の丹生晃市(にゅう・こういち)宮司が「日本人の神仏崇拝」や「天野伝説・横笛の悲恋」などについて講演、紀の川市在住の歌手・宮本静(みやもと・しず)さんが、横笛の悲恋を現代風にアレンジした新曲「天野の恋塚」を発表して、大勢のファンから喝采を浴びていた。
丹生都比売神社は、天照大御神(あまてらすおおみのかみ)の妹神・丹生都比売大神を主祭神とし、同大神を祀る全国約180神社の総本社。創建から約500年後の弘仁7年(816)、弘法大師・空海が、丹生都比売神社の神領を拝借して、高野山を開創した「神仏融合」の始まりの神社である。
丹生宮司は「弘法大師・空海が唐の国から、三鈷杵(さんこしょ)という仏具を投げて、帰国後、丹生都比売大神の御子・高野御子大神(たかのみこのおおかみ)の化身・狩人(かりうど)と遭遇。狩人が連れていた白黒2匹の犬の案内で、高野山に登ったところ、高野山の松に三鈷杵が掛かっていたので、丹生都比売神社から神領を借用・開創したと言われている」と説明。
「高野山・壇上伽藍の西奥には、寺院では珍しく御社t(みやしろ)が建造され、修行僧は今なお、宗教行事の節目ごとに護摩札を奉納、大神のご加護に謝意を表している」と、両社寺の関係を詳述した。
また、この日本特有の神仏融合について、平成16年(2004)7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」が、ユネスコ・世界遺産に登録されたことを紹介。「参詣道には当神社や高野山・金剛峯寺、熊野三山、吉野・金峯山寺(きんぷせんじ)など、歴史的な社寺があり、神仏仲良くしている姿が評価された」と解説。
さらに、「大日如来の心、つまり即身成仏とは、宇宙の心です。日本人は自然(太陽、水、風、地)の恩恵や畏怖を感じ、山川草木も神仏とし、平和を求めている。この心があれば、いつでも成仏できるはず」と語った。
一方、「横笛の恋塚」の悲恋物語も紹介。これは天野の伝説で、平安末期に内大臣・平重盛(たいらのしげもり)の家臣・斉藤滝口時頼(さいとうたきぐちときより)は、下級女官・横笛(よこぶえ)と恋に落ちる。
身分の違いから、父に仲を裂かれ、出家して高野山で修行。女人禁制で高野山に登れない横笛は、天野で暮らし、やがて鶯(うぐいす)となって他界。時頼は阿弥陀如来の仏像を彫り、そこに鶯の亡骸を納めて、冥福を祈ったと伝えられている。
丹生宮司は、天野の村人が弔った「横笛の恋塚」=宝篋印塔(ほうきょういんとう)や五輪塔=を映像で紹介するとともに、横笛が時頼に今も変わらない恋心を詠んだ「やよや君 死すればのぼる 高野山 恋もぼだいの たねとこそなれ」という和歌などを紹介。「きょうは、宮本さんが横笛の新曲を歌ってくれるというので、とてもうれしいです」とバトンタッチした。
「天野の恋塚」(紀賀里翔 作詞・作曲)は、「高野へ続く町石道(ちょういしみち)を あなたのことを想いつつ 登り続ける (後略)」と始まり、「天野の恋塚 高野へ続く 私の願いは ただひとつ」と結ばれる悲恋の演歌。宮本さんは、あでやかな着物姿で登場し、横笛の心を切々と歌い上げると、会場から大きな拍手が起きていた。
宮本さんはNHK・BS「勝ち抜き歌謡選手権」でチャンピオンになるなど、カラオケ全国大会で受賞多数。2010年「あんたの済州島へ」「紀の川のほとりで」でCDデビューし、東京・大阪なとで活躍、人気上昇中。
「天野の恋塚」(定価1500円=税込み)は4月3日、全国発売されたばかりで、4月19日(日)午後2時半からは、丹生都比売神社の楼門前で、「花盛祭(はなもりさい)~渡御(とぎょ)の儀~ゲスト歌唱」があり、宮本静さんが歌う。
5月12日(火)正午~午後2時には、かつらぎ町下天野1620の山荘・天の里(0736・26・0753)で、「天野の恋塚」発売記念ランチ歌謡ショーを開催。参加費は5000円(天野産食材の和洋折衷ランチ付)となっている。
写真(上)はフォルテワジマの舞台で記念撮影に収まる宮本静さん=左=と丹生晃市宮司。写真(中)は講演する丹生宮司。写真(下)は「天野の恋塚」を熱唱する宮本静さん。