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橋本駅・空襲~目撃証言CD~平和教育に活用
和歌山県橋本市東家のラジオ局「FMはしもと」が制作し、この夏に放送した終戦記念特別番組「橋本駅 機銃掃射の記憶」(CD)が、教育現場で活用されることになり、11月8日、橋本市教育長室で、同番組・収録CDの贈呈式が行われた。「FMはしもと」の向井景子社長(36)は「平和教育に役立てば」と喜び、松田良夫教育長(66)は「子どもたちに戦争の悲惨さと平和の大切さを伝える」と誓った。
橋本駅はJR(旧・国鉄)と南海高野線の合同駅で、昭和20年(1945)7月24日朝、米軍機が機銃掃射。駅構内にいた未成年4人を含む計6人が犠牲になり、停車中の貨車の松根油入りドラム缶が次々爆発炎上した。
あれから68年…。今春開局した「FMはしもと」の中野豊信・報道部長(65)は、この悲劇を恒久平和のために伝えたいと決心。地域の目撃者宅を訪ね歩き▽証言者・阪口繁昭さん(85)▽目撃証言者=池永恵司さん(83)、稲垣侑さん(75)、恩地保住さん(77)、下条明さん(78)、向井嘉久蔵さん(75)、福岡要さん(78)、寺本昌司さん(84)、坂口勝彦さん(80)、谷口善志郎さん(75)、松永定治さん(76)の計11人の証言を録音。スタッフの協力で、自らのナレーションや、音楽などを織り込み、1時間30分の番組に編集・制作した。
これを「橋本駅 機銃掃射の記憶」と題し、8月11日に放送、同15、17、18日には再放送。多くのリスナーから「終戦記念日を控え、2度とあってはならないことと痛感しました」「歴史は風化するといいますが、目撃証言は、次世代への最低限のバトンかと思いました」「放送で兄さんの様子を聞いて涙が出ました。いい番組をありがとう」などと反響を呼んだ。
松田教育長は「この目撃証言は、教育現場でも有効活用すべき」と考え、「FMはしもと」にCD提供を依頼。向井社長は「それは私たちの希望でもある」と快諾。中野報道部長は、著作権に照らし、放送段階で流したバックミュージックや、CMを除いたCDを再制作した。
この日、向井社長と中野報道部長が、橋本市教育長室を訪れ、向井社長から松田教育長と橋本市小中学校校長会の中元寅雄会長(57)(西部中学校長)に、贈呈目録とCD25枚を贈呈した。市教委は来年夏から毎年、市内15小学校の3年生と6年生の「社会科平和学習」に活用する。
中野報道部長は堺市出身で、25年前から橋本市に在住。サラリーマンを定年退職後、今春「FMはしもと」のパーソナリティーに就任。地元を知ろうと散策中、丸山公園に建つ「橋本駅・空襲の犠牲者の追悼碑」(米軍銃撃犠牲者追悼の会=阪口繁昭代表=建立)に出くわし、衝撃を受けた。さっそく取材に取り掛かり、米軍機の機銃掃射で、20歳以下の4人を含む6人の犠牲者の惨劇・目撃証言などを録音・編集・制作した。
中野報道部長は「放送後に沢山の電話があり、涙声で感謝の言葉をいただきました。これを教育現場で活用される。私は本望です」と話した。
松田教育長は作家・三浦綾子さんの言葉の一節を引用しながら、「戦争の非情さ無残さを、語ることによって、次世代に追体験させなければならない」と強調、「必ず子供たちの平和教育に役立てます」と誓った。
写真(上)は松田教育長=左=にCD目録を贈る向井社長=右=と中野報道部長。写真(中)は「橋本駅 機銃掃射の記憶」CD。写真(下)は右から松田教育長、向井社長、中野報道部長、中元会長。