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ノーモア戦争!〜橋本駅・空襲の犠牲者6人追悼
太平洋戦争の末期、和歌山県橋本市古佐田のJR・南海「橋本駅」で、米軍機の機銃掃射により、犠牲になった市民6人の「追悼の集い」が、7月23日、地元の丸山公園の〝追悼の碑〟前で営まれた。
橋本駅の空襲は、昭和20年(1945)7月24日朝、米軍・艦載機が飛来し、駅舎や停車中の松根油(しょうこんゆ)入りタンクを積んだ貨物列車に機銃掃射。タンクが爆発、銃弾を浴びた市民が死傷した。
「悲惨な戦争は二度と繰り返さない」と、平成23年(2011)、地元有志でつくる「米軍銃撃犠牲者追悼の会」(阪口繁昭世話人代表)は、無数の銃弾跡が残る橋本駅・跨線橋(こせんきょう)の板壁などを丸山公園に移設。
その前に建立した〝追悼の碑〟には、駅構内で犠牲になった平林靖敏(ひらばやし・やすとし)さん(15)、恋中圭一(こいなか・けいいち)さん(47)、山本稔(やまもと・みのる)さん(38)、 菅野廣雄(すがの・ひろお)さん(19)、海立節子(かいだて・せつこ)さん(20)、坂上貢(さかうえ・みつぐ)さん(14)の計6人の氏名・当時年齢が刻まれている。
この日、猛暑、蝉しぐれの中、遺族や地元地区役員、ボランティア、県議、市議ら、関係者が参列。木下善之市長が「〝追悼の会〟の方々の努力で、犠牲者の氏名・年齢が判明しました」と謝辞を述べ、「恒久平和を祈り、末永く追悼の集いを…」と挨拶した。
この後、応其寺の松井孝憲(こうけん)副住職が読経する中、遺族や地元地区役員ら関係者、さらに「のぞみハーモニカクラブ」(矢追隼人代表ら7人)と、県立橋本高校・吹奏楽部(植野朋佳部長ら10人)のメンバーが次々と焼香・合掌し、犠牲者6人の冥福を祈った。
また「のぞみハーモニカクラブ」は「荒城の月」や「ふるさと」など4曲、橋本高校・吹奏楽部は「見上げてごらん夜の星を」を演奏。参列者の心に沁み渡った。
最後に阪口・世話人代表は「あの空襲では、犠牲者6人のほかに、橋本駅前で、2歳ぐらいの子どもを抱いたお母さんが、全身血まみれになっていた、という情報があります。その後の消息はわかっていません。他に犠牲者がおられたら、追悼の碑に刻み、共にご供養したいので、情報を教えてください」と訴えていた。
なお、橋本・伊都地方のラジオ局「FMはしもと」は、8月11日(日)午前10時から一時間、終戦記念番組として「橋本駅 機銃掃射の記憶」を放送することになっている。
写真(上)は〝追悼の集い〟で焼香・合掌する遺族。写真(中)は〝追悼の碑〟に向かって手を合わせる橋本高校・吹奏楽部の部員たち。写真(下)は追悼演奏する「のぞみハーモニカクラブ」のメンバー。