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クイーン・のんびり・風~橋本の紀の川鉄橋3景

極楽橋(和歌山県高野町)行きの電車が橋本駅(同県橋本市)を出ると、まもなく大きなカーブになり、長さ217・3メートルの紀の川の鉄橋を渡る。正しくは紀の川橋梁というが、以下ここでは鉄橋を使う。鉄橋の架設工事は1922年(大正11)2月1日着工、24年(大正13)11月1日に橋本―学文路間が開通した。
高野線アーカイブス15回目は、紀の川鉄橋の3枚の写真を紹介しよう。
写真上は、52年(昭和27)7月19日に登場した初代特急こうや号。高野山方先頭の展望車は、高野線のクイーンと呼ばれたクハ1900で、38年(昭和13)に「貴賓車」として誕生した。
この電車の運転士に任命され、登場時から3年間運転していた九度山町在住の今西定夫さん(78)は、次のように語ってくれた。
「乗務の初日は、緊張しながらハンドル操作して橋本駅を出発。各駅でタブレット(通票)を授受しながら、途中5ヵ所の鉄橋を渡り、長短24のトンネルを抜けて、極楽橋までの19・9キロをノンストップ36分で走った。乗り心地のよい電車でした」と。写真は橋本市在住の鉄道愛好家・森本宏さんからの提供。
写真中は、71年(昭和46)に廃止になるまで「電貨」の名で親しまれ、主に紀の川の砂利を運ぶために活躍した電気機関車。57年(昭和32)12月のある日、電車を撮ろうとカメラを構えていると、機関車と車掌が乗務する緩急車の2両がゆっくりと走ってきた。のんびりとした田舎の光景の一面を写し撮ることができた。
写真下は、準急の円盤をつけた54年(昭和29)夏撮影の通勤電車。夏とはいえ、当時は車内にクーラーなどなく、乗客は車内の窓や運転室右窓を開け、走ることで起こる心地よい風を受けて、暑さを凌いでいた。とくに紀の川鉄橋を渡るときは、涼しい風に変わり、乗客も気持ちよさそうだった。南海のシンボルみどり色の電車の写真を掲載したので、ここで昭和30年代にテレビ・ラジオのコマーシャルで盛んに歌われた「南海電車のうた」を回想してみよう。歌詞は3番まであるが、高野線が入った3番の歌詞のみ案内しよう。作詞作曲三木鶏郎、うた伴久美子、覚えている方は歌ってみてください。
♪山は静かな塔の屋根 杉の木立の高野山 弘法大師のむかしをのせて 走る電車は みどりの電車 なぁーん なぁーん 南海電車 南の海を走ってく
                          (フォトライター 北森久雄)

更新日:2011年7月24日 日曜日 00:35

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