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焼失の風神雷神に再挑戦!組子細工師・池田さん誓う

近隣火災・類焼により組子細工づくりの工場や「風神・雷神(ふうじん・らいじん)」など沢山の作品を焼失した、和歌山県橋本市東家の木工芸家・池田秀峯(いけだ・しゆうほう)さん(69)は、5月6日、「とても悔しいが、大地震・大津波の被災者のことを思えば、落ち込んでなどいられない」と話し、「じっくりと仕事場を復活させ、改めて風神・雷神などの作品作りに取り組みたい」と力強く語った。
池田さんは江戸時代、京都から高野山の寺院に伝わった和歌山県指定の伝統的工芸品「紀州高野組子細工」の組子細工師。父の清吉(せいきち)さん(故人)が6代目、池田さん自身は7代目になる。
とくに池田さんは約20年前、屏風や衝立などに組子で絵模様を施す「三つ組み手」の新手法「きのくに・ちぎれはめこめ技法」を編み出し、オリジナル作品に挑戦。高野山金剛峯寺承認/厚生労働省認定一級技能師で、和歌山大学学生自主創造センターシニアアドバイザー。小学校や郷土の森、橋本商工会館などで組子細工講師を務めている。
その功績は大きく、平成9年(1997)には天皇・皇后両陛下の御来県記念に勇壮な鯨(くじら)の姿を表した衝立(ついたて)「勇泳」を、同11年には明治神宮に額「桜漫(ろうまん)の冨士」を献上。その後も、橋本市役所に欄間(らんま)「橋本の夏祭」、JR・南海橋本駅に額「彩雲遠望」、和歌山大学に額「高野山黎明(れいめい)」を寄贈するなど、多くの木工芸ファンから「紀州組子細工の第一人者」として讃えられてきた。
不慮の火災に巻き込まれたのは、5月4日午後1時30分頃。同工場西隣の住宅兼製材所から出火、火は強い西風に煽られて、またたく間に池田さんの工場(鉄骨2階建て)に燃え移り、計4棟約4300平方メートルを全焼。工場内の木工帯鋸(おびのこ)、昇降盤(しょうこうばん)、自動鉋(じどうかんな)などの機械設備、清吉さんから受け継いだ鑿(のみ)・鉋など小道具類の一切を焼失。
また、大阪のデパートで個展を開いた際、某画商が「これは1億円で売れる」と断言した屏風「風神・雷神」をはじめとする衝立・額、組子壁画、置物、短冊掛けなど約10種類350点も灰燼(かいじん)に帰した。
とくに「風神・雷神」(4曲屏風)は、高さ約1・7メートル、幅約4メートルの大作。神代杉(しんだいすぎ)や屋久杉(やくすぎ)、高野杉などを素材にして、組子を丹念に重ね、右に風神、左に雷神の神々しさを表現。額縁部分を残してほとんど完成していた。
池田さんは、江戸時代初期の画家・俵屋宗達(たわらや・そうたつ=生没年不詳)の「風神雷神屏風絵」の素晴らしさと、その後、名だたる2人の画家が、模倣作品を描いていることに感銘。自らもまた独自の紀州高野組子細工で「風神・雷神」制作に挑んだという。
池田さんは出火当時、近く結婚する三男(会社員)が入居予定の市内の新居で、家族とともに入居準備をしていた際、近隣火災を知らされた。あわてて現場へ車で駆け付けたが、すでに工場まで延焼、「せめて風神・雷神だけでも」と思ったが、全然、手の施しようもなく、「もう仕方ない」と断念。約30分後には新居に戻って、黙々と入居準備作業を続けたという。
池田さんは「今ここに至って、阪神淡路、東日本、熊本大分の大震災、紀伊半島大水害の被災者のお気持ちがよくわかる。これしきの事で泣いてなどいられない」と奮起。「もしも不要になった昇降盤(しょうこうばん)や各種自動鉋(かんな)盤、マイコンラジアルソー、紐面留(ひもめんどめ)加工機、穴掘り機など、使えそうな機械・道具類があれば教えてほしい」と訴える。
幸い自宅裏側には、先代から使ってきた作業場(木造2階建て)があり、先ず、そこで作業を再開。新工場再建については熟慮する。池田さんは「風神・雷神は焼失したが、その制作は私の人生の夢であり、落ち着いたら、改めて制作を始め、これだけは何年かかっても、必ず完成させたい」と意欲を見せていた。
写真(上)は焼失した紀州高野組子細工「風神・雷神」(6曲屏風)の右側の風神。写真(中)は工場全焼の悔しさを抑え「制作再開を目指す」と語る池田さん。写真(下)は平成23年、和歌山大学に寄贈する額「高野山黎明(れいめい)」を制作中の池田さん=焼失前の工場で。


更新日:2016年5月7日 土曜日 00:00

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