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織田秀信公の墓所♡裏山の柿色づく〜橋本・終焉の地
和歌山県橋本市向副の寺院跡に、戦国武将・織田信長の嫡孫(ちゃくそん)・織田秀信公の墓所がある。この秀信公・終焉の地を知る人は少ないが、今、裏山の柿畑が美しく色づいて、秀信公を偲ぶような初冬風景を見せている。
橋本の郷土史家の著書によると、秀信公は天正8年(1580)、織田信長の長男・信忠の長男として出生。本能寺の変で父・信忠は自害。秀信公は羽柴秀吉の推挙で織田家を後継、岐阜城主となった。
ところが関が原の戦いで敗退。剃髪得度(ていはつとくど)して高野山へ登るが、祖父・信長に迫害された高野聖派(ひじりは)に追われ、山麓の向副村に閑居した。
村人の情を受けて善福寺に住み、村の娘と結婚して一児をもうけ、幸せな日々を送ったが、慶長10年(1605)5月8日に病没、26年の短い生涯を閉じたという。
平成23年(2011)には、NHKが信長の妹・市の三女・江の波乱の生涯を描いた大河ドラマ「江~姫たちの戦国」、今年は信長の再々登場する明智光秀が主人公の「麒麟(きりん)がくる」を放映中だ。
高野山麓ツーリズムビューローでは、観光事業の一環として、「ワンコイン(500円)で体験!知らなかった橋本市の魅力を発見!」を開催中。来年1月23日(土)には、高野山中興の祖・応其(おうご)上人を祀る応其寺や、秀信公の墓所の巡拝、歴史解説を実施する予定で、西村尚美(にしむら・なおみ)事務局長は「素敵な郷土の歴史を知ってほしい」と話している。
秀信公の墓所は、国道371号の紀の川・橋本橋南側の南海高野線・踏切を渡った右側にある。「ワンコインで体験」の詳細は、高野山麓ツーリズムビューロー(電話=0736・26・7988)HPで紹介している。
写真(上)は信秀公ゆかりの善福寺跡と信秀公の顕彰碑。写真(中)は信秀公の墓所。写真(下)は信秀公の墓所と柿畑の風景。