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隅田八幡神社「案内・鳥瞰図」が完成♪正遷宮を控え

国宝・人物画象鏡が伝わる和歌山県橋本市隅田町垂井の隅田八幡神社=寺本嘉幸(てらもと・よしゆき)宮司=は、「正遷宮(しょうせんぐう)」を控え、神社全体を空から展望した鳥瞰図(ちょうかんず)の案内板を掲示した。すでに主祭神・五柱(ごはしら)を遷(うつ)す唐櫃(からひつ)の奉納、手水舎(てみずしゃ)のセンサー化を済ませ、近く御旅所(おたびしょ)を改修し、境内に電波時計を設ける。20年に1度の「正遷宮・奉祝祭(ほうしゅくさい)」は、10月9日(月・祝)に執り行われることに決定し、寺本宮司は「皆さまのご奉納のお陰です」と深く謝辞を述べている。
案内板は同神社敬神(けいしん)婦人会が奉納。畳1枚の大きさで、拝殿東側の神楽殿(かぐらでん)の前に掲示。その神社・鳥瞰図は、上空からドローン撮影した写真を基にして、本殿や拝殿、神楽殿、客殿、社務所などを名所図会風(めいしょずえふう)に表現し、主祭神や末社名も表記。これまでの古くなった平面図と取り換えた。
このほか同神社講社や丸高稲荷講、同神社氏子青年会などの奉納により、例えば客殿の手水舎をセンサー化し、石の上に立つと2頭の龍の蛇口から自動的に聖水が出るようになった。
唐櫃は「正遷宮・奉祝祭」の際、東の神楽殿の仮本殿にある主祭神・五柱を唐櫃に載せ、担いで本殿に遷す。電波時計は境内東にある隅田恵比須(すだえびす)わきのポール上に設置。
同神社の飛び地、隅田中学校の校門正面の庭にある御旅所は、石積みの土台を「コ」の字形に改築し、綺麗にした御社を奥に戻して、秋祭りの御神輿(おみこし)が収められるようにする。
同神社の場所は、神功皇后(じんぐうこうごう)が外征(がいせい)後、大和の都に御還幸(ごかんこう)の途中、滞留された旧跡で、そこに貞観(じょうかん)元年(859)、八幡社を勧請(かんじょう)したのが創祀(そうし)とされる。
社宝の人物画象鏡(5、6世紀頃の制作)は国宝で、東京国立博物館に寄託。秋祭りは鎌倉時代の放生会(ほうじょうえ=殺生を戒める宗教行事)を起源とし、伝統の「御神輿渡御(おみこしとぎょ)=和歌山県無形民俗文化財=や、中将姫などの飾り幕の綺麗な担ぎ屋台(かつぎだんじり)が勇壮に練り歩く。
今年の秋まつりは10月7日(土)に宵宮、同8日(日)に本宮、翌9日(月)に「正遷宮・奉祝祭」が営まれる。
担ぎ屋台の御練りは持ち回り制で、今年の担当は河瀬区、平野区、中道区、中下区、神輿担当は境原区。奉祝祭の担当は垂井区、中島区、下兵庫区、山内区、恋野区で、各区民は「とくに正遷宮の今年、一層心晴れやかに、秋祭りを盛り上げる」と張り切り、寺本佳文(よしふみ)禰宜(ねぎ)は「皆さまのご協力をいただき、かならず奉祝祭を成功させたい」と謝辞を述べている。
写真(上)は隅田八幡神社に奉納・掲示された案内・鳥瞰図。写真(中)は奉納された唐櫃を披露する寺本・禰宜。写真(下)はセンサーで出水するようになった隅田八幡神社の龍の手水舎。


更新日:2017年8月26日 土曜日 00:00

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