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定福寺盆踊り20年ぶり復活~紀の川・さとわ広場

少子高齢化で途絶えていた和歌山県橋本市賢堂の定福寺(じょうふくじ)の盆踊りが、7月20日、新しい紀の川河川敷の「さとわ広場」で、約20年ぶりに復活した。盆踊り実行委員会の前谷博巳(まえたに・ひろみ)委員長は、「皆さまのご協力のお陰で、賑やかな盆踊りを実現できました。今後もぜひ続けたい」と誓った。

定福寺は世界遺産・高野山に至る「高野七口=こうやななくち」(参詣道7コース)のうちの一つ「黒河道(くろこみち)」の入口わきにあり、賢堂の区民は古くから、定福寺境内で盆踊りを続けてきた。ところが約20年前、少子高齢化と、これに伴う参加者減少などにより、盆踊りは中止。お供え、お祈りの〝地蔵盆行事〟だけを続けてきた。

たまたま一昨年、使われなくなった紀の川河川敷のゲートボール場(約1500平方メートル)が雑草で荒廃。賢堂区は、市からの相談を受け、石井俊彦(いしい・としひこ)区長や区民有志が、河川敷の有効利用に尽力。雑草を刈り、整地をして、区管理地とし、その愛称を区民公募で「さとわ広場」と決めた。昨年秋には木下善之(きのした・よしゆき)当時市長の出席のもと、防災訓練を行い、今回は県の補助金を活用して盆踊りが実現したという。

この日、「さとわ広場」中央には、紅白幕で飾った高さ約5メートルの櫓(やぐら)を設け、そこから四方に計約100個の提灯(ちょうちん)をぶら下げて、かき氷やコーンなどの模擬店も並べた。

薄暮の中、盆踊りが始まると、櫓のまわりは〝ゆかた〟や〝ハッピ〟姿の善男善女でいっぱい。約300人の踊り子が、4重、5重の輪になって、「やっちょんまかせ」や「河内音頭」など約20曲を、威勢のいい太鼓のリズムに乗って、しなやかに踊った。

広場はもちろん、堤防の高見にも、大勢の見物客。眼下には踊りの輪と紀の川の流れ、対岸にはJR・南海橋本駅や市役所周辺の街並み、遠くには三石山などの影が霞んで見える。

見物の人たちは、「この場所で、戦後続いてきた名物〝紀の川まつり〟は、今や下流域に移動して寂しくなったが、この〝定福寺の盆踊り〟は、最高の舞台で復活しました」と讃えていた。

今回、大勢の踊り子が参加したのは、盆連協(橋本市盆踊り協議会)と、石井区長の呼びかけが、見事功を奏したもので、黒河道の世界遺産・追加登録を訴える「黒河の会」の山本一清(やまもと・かずきよ)会長は「約20年前には、参加する子供たちも少なく、わずか20人前後の、ささやかな盆踊りでした。それが、地元若手の奮起と、盆連協などのお陰で、大いに盛り上がりました。これが本来の高野山麓の活気です」と喜んでいた。

写真(上、中。下)は紀の川河川敷「さとわ広場」で20年ぶりに復活した定福寺の盆踊り。


更新日:2014年7月21日 月曜日 00:00

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