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絢爛豪華〝担ぎ屋台〟7日登場…隅田八幡神社

鎌倉時代の放生会(ほうじょうえ=殺生を戒める宗教行事)を起源とする、和歌山県橋本市隅田町垂井の隅田八幡神社の秋祭りが、10月6(土=宵宮)、7日(日=本宮)両日、同神社境内などで行われる。とくに、7日の本宮に登場する絢爛豪華な〝担ぎ屋台(かつぎだんじり)〟は見もので、寺本嘉幸宮司は「古き良き時代から続く、日本の秋祭りです。じっくりとご覧ください」と言っている。
同神社は、神功皇后が外征から帰朝、滞留した旧跡で、貞観元年(859)に欽明天皇の勅(ちょく)により勧請(かんじょう)。日本最古の金石文入り国宝「人物画像鏡(じんぶつがぞうきょう)」(現在、東京国立博物館に収蔵)が伝わった由緒ある古社。
7日の本祭りは、橋本市河瀬区の御神輿(おみこし)1基、山内、恋野、中島、垂井の4区から〝担ぎ屋台〟計4基が勢ぞろい。〝担ぎ屋台〟には、2本の担ぎ棒が取り付けられていて、屋台全体は、同市恋野ゆかり中将姫や、武士の姿、日清・日露戦争の戦場など、刺繍(ししゅう)入りの羅紗(らしゃ)や、縮緬(ちりめん)製の幕で飾られている。
午前11時から、本殿で神官による祭典を営み、午後1時15分から、御神輿が境内を練った後、1時半から〝神輿渡御(みこしとぎょ)〟=和歌山県無形民俗文化財=を開始。総勢300数十人の若衆が、境内で屋台を担ぎ、笛太鼓の音に合わせて、「えらいやっちゃ、負けんなよ」と、威勢よい掛け声を発しながら、約1時間半にわたって、屋台を上下左右に揺さぶる。
この後、担ぎ屋台が〝露払い役〟として先導。御神輿、馬上の寺本宮司、祭員、巫女(みこ)、神具=榊(さかき)、天狗、獅子、御幣(ごへい)、鉾、長刀、弓矢、剣、唐櫃(からびつ)、太鼓、榊=、氏子総代らの行列が時代絵巻さながら、約1キロ先の御旅所(おたびどころ)まで練り歩く。
午後3時半から、御旅所(小さな祠)のある隅田中学校グラウンドで〝神幸祭〟が営まれた後、同4時から、御神輿を中心に、4基の担ぎ屋台が輪になり、一斉にお練(ねり)を繰り広げる。
橋本市在住の木版画家・巽好彦さんは、神社境内を練り歩く担ぎ屋台を木版画に制作。その作品を同市内の温泉宿泊施設「紀伊見荘」がレストランに掲示。市役所職員や観光協会員らは、その作品を名刺に印刷し、対面者に配るなど、担ぎ屋台の素晴らしさが、年々評判になっている。
6年前の秋祭りには、同市恋野出身で映画・テレビで人気上昇中の俳優・溝端淳平さんが、恋野区の〝担ぎ屋台〟に乗って、太鼓を叩いた経緯もあり、近年はとくに女性ファンが訪れ、淳平さんが参加していなくても、恋野の担ぎ屋台を熱心に見物、写真撮影している。
6日(宵宮)は午前9時~午後4時、5地区の子供みこし5基が巡行して宮入り。一方、午後2時~午後4時、稚児行列が行われ、隅田小学校~同神社間約400メートルを練り歩くことになっている。
隅田八幡神社・禰宜(ねぎ)の寺本佳文さんは「これまで、当神社の秋祭りは、毎年第2土曜・日曜でしたが、橋本市東家、市脇、古佐田など市役所周辺のまちの秋祭りと、行事日程が重なるため、『皆さんがどちらの祭りも見物しやすいように』という、神社役員や地元の意見を受け、今年から第1土曜・日曜に変更しました」と説明。また、「この秋祭りは、鎌倉時代の放生会が起源で、〝神輿渡御〟は江戸時代末期から続く、わが国の祭りの原風景です。どうぞ、勇壮な担ぎ屋台の練りようを見てください」と話した。
写真(上)は、昨年の隅田八幡神社・秋祭りの担ぎ屋台の光景。写真(中)は橋本市の温泉宿泊施設「紀伊見荘」に飾られた木版画家・巽好彦さん作の「隅田八幡神社の秋祭り」。写真(下)は昨年の隅田八幡神社の秋祭りの風景。


更新日:2012年10月4日 木曜日 17:47

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