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絢爛〝担ぎ屋台〟ゆさぶる~橋本・隅田八幡神社
秋の夜は、とくに、鈴虫の音が涼しい。和歌山県橋本市東家の愛宕山・妙楽寺あたりは、昔の参道の両側に、家も畑もあって、昼はもちろん、夜は、秋の虫がすだく。それにしても、その鈴虫の音にまじって、耳鳴りのように聴こえてくるのは、昼間、見物してきた祭り囃子と笛太鼓である。
てんてこ、てんてこ、てんてこてん、「えーらいやっちゃ、負けんなよ」、ぴーひゃら、ぴーひゃら、ぴーひゃらら…。ここは神宮皇后が滞留した旧跡で、貞観元年(859)に欽明天皇の勅(ちょく)により、勧請(かんじょう)された同市の隅田八幡神社境内である。
先ず、金色の鳳凰(ほうおう)を、屋根に戴いた御神輿が、ひとしきりお練りをして、本殿前に安置される。その後、橋本市恋野(中道)、宮本(中下)、下手(河瀬)、山手(境原)の4地区から、次々と担ぎ屋台(だんじり)が登場してきた。
担ぎ屋台は、羅紗(らしゃ)や縮緬(ちりめん)の幕で覆われ、そこには鎧兜(よろいかぶと)の武者が、剣や弓矢をかざしている〝源平合戦〟など、豪華絢爛(ごうかけんらん)な光景が、美しく刺繍(ししゅう)されていて眩しい。
そう思う間もなく、例えば、宮本(中下)の担ぎ屋台。「そーりゃ、行くぞい」という気合もろともに、「中下じゃ、中下じゃい」と、若衆が囃(はや)す。約100人の担ぎ手は、ものの見事に、両足を交互に踏ん張り、歯を食いしばって、屋台を上下左右にゆさぶる。後部の3つの太鼓は、屋台がどんなに傾こうが、高く持ち上げられようが、打ち続けられている。
境内は、ハッピ姿の若衆と、見物の群集で、あふれんばかり。遠目には、担ぎ手の姿は、群集に隠れて見えず、担ぎ屋台は軽々と、まるで前後左右に、群集の頭上をすべり回る。再び「行くぞい」との声が掛かかると、屋台は群集をかき分け、怒涛(どとう)のように、打ち寄せてくる。
そして、やがて、「これを見よ」「この屋台を見よ」「この力を見よ」と言わんばかりに、約1トンもある重い屋台を、高々と持ち上げて、何度も何度も本殿にかざすのだ。 腹からの声発したる秋祭 (水津順風)
4台の担ぎ屋台は〝露払い役〟として、御旅所(隅田中学校内)へ向けて出発。それからしばらくして御神輿、馬上の宮司、祭員、巫女、神具=榊(さかき)、天狗、獅子、御幣(ごへい)、鉾(ほこ)も長刀、弓矢、剣、唐櫃(からびつ)、太鼓、榊=の順に〝時代行列〟が、松並木の参道を練り歩いた。
出発前、白馬にまたがり、記念撮影を終えた寺本嘉幸宮司は、「よくご覧いただけましたか」と、にこにこと笑いながら、近づいてきてくれた。「いやはや、まさに時代絵巻です。古きよき時代の、日本の伝統を、見せていただきました。うれしくなりました」と、率直な気持ちを述べさせてもらった。