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橋本駅・空襲〝追悼の碑〟再建立…6人氏名刻み

太平洋戦争の末期、和歌山県橋本市古佐田のJR南海・橋本駅構内で、米軍機の機銃掃射浴びた犠牲者の〝追悼の碑〟に、9月13日、新たに判明した犠牲者を含む計6人の氏名・当時年齢が刻まれ、改めて同市古佐田の丸山公園・地蔵菩薩前に設置された。
米軍銃撃犠牲者追悼の会(阪口繁昭代表ら有志5人)は、犠牲者の命日にあたる今年7月24日、「平林靖敏十五才 恋中圭一四十七才 山本稔三十八才 菅野廣雄十九才」と犠牲者4人の氏名・当時年齢を刻んだ〝追悼の碑〟を建立。追悼・除幕式を行った。
駅構内での犠牲者は「あと2人いる」との未確認情報があったため、〝追悼の碑〟には2人分の余白を残していた。追悼・除幕式の翌日になって「あと2人の犠牲者名がわかった」との地元情報を得たが、「追悼の碑に氏名、年齢を刻むには、遺族からの依頼が必要」と、控えていたところ、先月、同市矢倉脇の海立節子さん(当時20歳)、9月7日には同市柱本の坂上貢さん(同14歳)の、2人の犠牲者名が相次いで確認されたうえ、遺族から〝追悼の碑〟に氏名・当時年齢を刻むよう依頼があったため、海立さんと坂上さんの氏名、当時年齢を刻んだ。
橋本駅・空襲は1945年(昭和20)7月24日朝、米軍・艦載機が飛来。橋本駅の駅舎や停車中の貨物列車に機銃掃射を浴びせ、駅構内にいた6人が犠牲になった。
阪口代表は「これで橋本駅・空襲による、駅構内での犠牲者のお名前は全部判明しました。今後は、ご遺族の皆様、市民の皆様とともに、心置きなくご供養できます」と話した。
写真(上)は丸山公園・地蔵菩薩前に改めて建立された犠牲者6人の氏名・当時年齢が刻まれた〝追悼の碑〟。写真(中)は追悼の碑の脇に移設されている橋本駅・渡線橋の標柱や銃弾跡が残る板壁。写真(下)は〝銃痕板壁〟や〝追悼の碑〟のある丸山公園・地蔵菩薩前。

更新日:2012年9月14日 金曜日 01:20

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