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橋本川の町並み~水彩画に残す、郷土の堀江さん
しっとりとした「昭和の風景」として愛されてきた、和歌山県橋本市の橋本川流域の町並みが、JR南海橋本駅前の市街地開発事業や、河川拡幅改修工事で、ほとんど消滅しているが、その素敵なたたずまいは、きちんと水彩画の中に残っていた。同市隅田町垂井に住む画家・堀江壽碩(じゅせき=本名・頴市)さん(76)が、真っ先に「風景破壊」が始まることに感づき、真冬にふるえながら写実したものだ。市民は「よかった、風景がちゃんと描写されていて…」と喜んでいる。
橋本川は、橋本駅から西300メートル程のところを、北から南に流れ、紀ノ川に注いでいる。20~30年前に、市北部で大規模な住宅開発が行われた後、1990年代の豪雨の際、たびたび川が氾濫(はんらん)。流域の家屋は浸水し、大被害を受けた。このため、国や県、市は河川拡幅改修や、橋の架け替え、流域の市街地整備に本腰を入れ、川は幅30メートルから50メートルに拡幅。古東橋や松ヶ枝橋は、橋脚のない橋に架け替えられ、流域の住宅や商店は、新しいまちづくりに向けて、取り壊された。今は、国道24号の御殿橋の架け替え工事の最中だ。
元のJRの鉄橋は、コンクリート橋に変わり、老舗旅館も、写真館も、織物会社も、長屋も、すべてなり、「ほんまち商店街」一帯の商店も、大半が更地に変わっている。そして、消防車や救急車が走れる、近代的なまちづくりは、遅いながらも、着実に進められ、歴史的な木造建築の町家や商店などは、ことごとく姿を消している。
ところが、川沿いの風景が、こうなることをいち早く感知し、「記録絵画」の制作に取り組んだのが、堀江さんだった。堀江さんは、堤防沿いの旧家に住む友人から、川の拡幅・改修計画を知らされ、1933年1月、スケッチブックを引っさげて、川に向かった。先ず、松ヶ枝橋の西端に腰をおろし、川の東側の堤防と、町並みをスケッチ。その後、橋の東端から川の西側の堤防と、町並みをスケッチした。合計16枚で、いずれも、具象画。とくに寒かったため、絵の具は凍りつくので使えず、こつこつと色鉛筆で描いた。
さらに、翌年には、その原画(スケッチ)をもとに、川沿いの風景を、東側2枚、西側2枚の水彩画に描き直した。東側2枚をつなげは、松ヶ枝橋から見たJR和歌山線の鉄橋~国道24号間の風景となり、西側2枚をつなげは、松ヶ枝橋から見た国道~鉄橋間の風景となる。そのパノラマ状の絵は、横の長さ2・1メートル、高さ40センチの大きさで、杉の木枠でかこみ美しく仕上げられた。
堀江さんは1級建築士の資格を持つ。とくに建物の描写は細やかで、しかも、写真にはできない、一筆一筆の運び方に、丹精が込められている。鉄橋からは列車の通過する音、老舗「堺屋旅館」からは「料理も酒もうまい」という殿方の声が聞こえてきそうだし、町家に干された洗濯物からは、日々の暮らしのにおいさえ漂ってくる。すでに失われた橋本川の風景が、水彩画に残されていると聞いた市民らは、「郷土の歴史的な風景を絵で記録し、その素晴らしさを、絵で示してくれた」と喜んでいる。堀江さんは、松ヶ枝橋で、水彩画の風景と、今の風景とを、しっかり見比べながら、「寒さをこらえて制作した甲斐がありました」と、改めて、自ら描いた絵を眺めていた。