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古校舎移設しネオン街~橋本「浮世小路」今昔

    古い校舎を移設(右)した浮世小路のネオン街
    古い校舎を移設(右)した浮世小路のネオン街
    古い校舎を移設(右)した浮世小路のネオン街
    昼間の浮世小路(右側が古い校舎を移設した建物)
    古くて地方独特の情緒をもつ浮世小路
    古くて地方独特の情緒をもつ浮世小路

橋本の「浮世小路」とは、和歌山県橋本市東家地区の一隅をいう。1960年(昭和35)ごろ、地元の実力者が、老朽化した学校校舎を活用しようと、解体して廃材を使い、そのままの形で、東家地区の路地裏に移設した。木造2階建て瓦葺の2棟。その2棟は、約5メートルの間隔をおいて、路地わきに1列に並べられた。
路地に面した1階の部屋と、内部を通る廊下わきの部屋には、間もなく、居酒屋やバー、スナックができ、色とりどりのネオンが点灯。それより先にあったのか、後に出来たのか、路地の反対側にも、寿司店や飲み屋、喫茶店が軒を並べていた。
国道24号わきには、映画館「橋本日活」があり、そこから北へわずか50メートル程つづく路地には、このように10数軒の「夜の店」がひしめいていた。これが橋本・伊都地方で、1番の歓楽街だった。この一角に喫茶店を開いた元新聞記者が、幅5メートル程の路地を「浮世小路」と名づけ、いまなお、そう呼ばれているという。
私も、和歌山市内から、橋本へ移り住んで、浮世小路へは12年間、通っている。それでも今夜は、気分を新たに…と、平成の浮世小路を歩いてみた。復元?された例の「昭和の校舎」には、表通りに居酒屋「ふるさと」、スナック「みさ」、「ねね」、廊下側にスナック「レオン」のネオンが点灯している。表の居酒屋「愛」、スナック「八十八(はとや)」「ローズ」、廊下側の「廣」「田園」は、すでに閉店、看板の灯が消えていた。
映画館「橋本日活」は、遥か昔に廃業していたが、近くにカラオケ喫茶「白苑」があり、昭和の校舎の向かい側には、寿司店「清ずし」、スナック「たみちゃん」「スマイル」「弥栄」「ポッポ」の店々が、明るいネオン看板を輝かせていた。
浮世小路の誕生から半世紀。その後、新しい店ができ、古い店が閉じ、ママさんもホステスも、どんどん入れ替わってきた。すべて、店の歴史も栄枯盛衰をたどる。さもありなんと思いながら、これまで酒場で、ご一緒してきた社長や商店主、画家、俳人ら、私の人生の先輩たちの、話を思い出した。
「60年代の浮世小路は、いつも店は満員で、往来は、肩がぶつかりそうやった」と、彼らの話は、今では到底、考えられない活況ぶり。当時は、国道371号の紀見トンネルや、橋本カントリー・ゴルフ場を建設中で、ゼネコンも地元の下請けも、仕事があふれ返っていた。もちろん、高野口の織物産業も、まだまだ活況を呈していて、漫画なら、まさに大判小判が空中に舞う、「神武以来の好景気」だった。
男たちは、次々とホステスの胸に、惜しげもなく、1万円札を押し込む。雨の中、濡れ鼠(ねずみ)になったまま、惚れたホステスの店の前で待つ。美人ホステスをめぐっての、喧嘩(けんか)や、いざこざは、日常茶飯事。また、男たちは、裏の公衆トイレには入らず、草むらに立ちションの放列。あたりは、言わずもがな、であった。
或るスナックに入る。たまたま、先客で、カウンターにいた友人に出会う。ここで話題に出たのが、昔、この界隈でならした「ギター弾きのみっちゃん」のことだった。日暮れとともに、粋な笑顔と、張りのある歌声と、すすり泣くようなギターで、どこからともなくあらわれる。1930年頃の生まれで、今なら80歳。当時は、油の乗った、なかなかの美男子。レパートリーは広く、田端義男、ディック・ミネ、美空ひばり…、「何でもござれ」だった。客は、そのギター演奏に合わせて、いや、合わせてもらって、気分よく歌ったものである。その「みっちゃん」も、約20年前に、姿を消したままだ。友人は「みっちゃんみたいな、ギター弾き、浮世小路に、いてくれたらいいのになあ」と言い、「昔みたいに夜の街がにぎわうと、昼の街も活気づくんやがなあ」と溜息をもらした。
この店では2年ほど前、例の校舎1階のスナックのママさんと出会ったことがある。70歳代で、すでに店をたたみ、店の2階に住んでいた。若い時のアルバムを見せてもらうと、目の大きな、すらっとした色白美人。人生の先輩たちからは、「あのママさんねえ、男と言う男は、よく通ったものよ」と、聞かされていた。でも、彼女は、ついに独り者で、杖をつき、昔の面影はほとんどない。私がディィック・ミネの「雨の酒場で」を歌うと、昔を懐かしみ、涙で拍手して、喜んでくれた。今は、2階の部屋も、ぼろぼろになり、市内の老人施設で暮らしている。
例の雨の夜、ずぶ濡れになって、或る店の前で、佇(たたず)んでいた男。実は、彼は、ここ10年来の友人だった。しかし残念ながら、最近、70代半ばで、肝臓病を患い、鬼籍に入った。気風(きっぷ)のいい、やさしい、童心を持った男だった。それを言い出すと、あいつも、あいつも…と、酒場で知り合い、やがて、消えていった男や女は少なくない。私でさえ、そうなのだから、この浮世小路で、飲んで騒ぎ、離合集散していった人々は、おそらく夥(おびただ)しい数にのぼるに違いない。
ひとしきり、友人と世間話をして、歌も歌って、勘定を払って、表に出ると、梅雨間近の月が、暈(かさ)をかぶっている。雨上がりの路地に、ネオンが彩りを添えている。夜風が半袖の腕(かいな)をなでる。店々からは、多少の歌声がもれてくる。「さあ、あしたも仕事。帰って、寝るか」と、吐き出すように、つぶやいたあと、「飲み屋街とは、新しいから、いいという訳でもない。いかに古びようとも、人情やら、時代やらを、感じられる場所なら」と、ひとり頷(うなづ)いていた。
かの人も鬼籍に入りし梅雨間近 (水津順風)

更新日:2011年5月12日 木曜日 02:34

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