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阪口繁昭氏92歳逝去〜橋本・戦友偲び反戦平和訴え

第二次世界大戦でシベリア抑留され、帰国後は戦友を慰霊、戦争の悲惨さと平和の尊さを訴えてきた和歌山県橋本市古佐田の阪口繁昭(さかぐち・しげあき)さんが、10月14日午後10時42分、誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため、橋本市民病院で亡くなった。92歳だった。
16日の通夜、17日の告別式は、同市内で家族だけで営まれる。
阪口さんは昭和19年(1944)、満蒙開拓青少年義勇隊に入隊。陸軍二等兵として中国・ソ連の国境で転戦したが、同20年(1945)8月22日、ソ連兵に日本敗戦を告げられ、シベリアへ強制連行された。
マイナス40度の極寒の地で、鉄道建設や材木伐採・搬送などに酷使され、多くの戦友たちが祖国・家族を思いながら逝去した。
昭和21年(1946)12月、帰国が決まった際、阪口さんは決死の覚悟で、1個師団・80人の日本人捕虜の「戦友名簿」を、ソ連兵に極秘で作成。見事持ち帰って、可能な限り家族に「戦友存命」を伝えてきた。
約30年間は地元の古佐田区長や古佐田墓地管理委委員会委員長を務め、同市傷痍軍人会や、人権委員会など各種団体に貢献。最近では、市内各地の希望で講演活動を行い、戦争の悲惨さ、反戦平和の大切さ、シベリアから戦友の遺骨の帰還を切望してきた。
また、米軍機・銃撃による橋本駅での犠牲者6人の住所・氏名を調査し、同駅の跨線橋(こせんきょう)の弾痕が残る板壁を近くの丸山公園に移設、そこに自費で慰霊碑を建立して毎年8月に法要。ひたすら没後の安寧を祈ってきた。
昔、非行少年のたまり場になっていた橋本駅の休憩室は、教育委員会や鉄道会社の協力で、そこに図書の持ち帰り自由な「やかいな図書館」を開設。立ち寄った作家・五木寛之は素晴らしいと讃えている。
さらに郷土出身で日本女性初のオリンピック水泳200㍍平泳ぎの金メダリスト・前畑秀子(まえはた・ひでこ)選手や、人間ノーチラスとして名高い古川勝(ふるかわ・まさる)選手=いずれも故人=の貴重な資料を懸命に収集して、同市郷土資料館に寄贈するなど、ふる里の名誉市民を全国にアピールしてきた。
15日、自宅・仏壇前のベッドに安置された阪口さんは、明るい穏やかな表情で、やすらかに目を閉じており、訪れる親族の方々を、悲しいながらも、安堵させている様子だった。
阪口さんの活動を終始支えてきた、元・紀北工業高校教諭の池永恵司(いけなが・けいじ)さん(89)は、「戦後75年、今も戦友を深く思い、人々への奉仕活動を続けた阪口さん。90歳を超えてなお、少年兵のような純粋な心を持ち、ほんとうに惜しい先輩を亡くしました」と、手を合わせていた。

更新日:2020年10月15日 木曜日 15:38

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