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崇敬・阪口繁昭氏の冥福祈る♡秋雨の橋本・丸山公園
第二次世界大戦後、今は亡き戦友をひたすら偲び、ただ一心で平和の尊さを喚起してきた、ふる里の偉人・阪口繁昭(さかぐち・しげあき)さんーー。
92歳で病没した阪口さん(和歌山県橋本古佐田)の告別式が、家族葬として営まれた10月17日午後、阪口さん宅近くの丸山公園は、まるで初冬のような秋雨(あきさめ)に包まれた。
阪口さんは、満蒙開拓青少年義勇隊員・陸軍二等兵として中国・ソ連の国境で転戦。戦後はシベリアに抑留され、九死に一生を得て帰国した。
ここ丸山公園は、阪口さんの活動の舞台の一つ。独自調査と自費で建立した、米軍銃撃による橋本駅・犠牲者6人の慰霊碑が建つ。この日も、阪口さんの心を汲み取り、心優しい人々が活けた沢山の供花で彩られていた。
阪口さんは帰国後、覚せい剤や飲酒運転の追放、子供の交通安全教育、橋本駅「ゆかいな図書館」創設、小さな親切実行運動、墓地清掃活動などに取り組み、その尽力は数えきれない。
最後まで阪口さんの活動を支えてきた、県立紀北工業高校・元教諭の池永恵司(いけなが・けいじ)さん(89)は、「私は阪口さんの意志を聴いて、ただ、パソコン操作や、荷物運びを手伝っただけ」と述べ、「阪口さんは、ひたすら戦友と、残された家族を思い、人々の幸せを願い続けました。実に惜しい人を亡くしました」と目を潤ませていた。
今後、丸山公園に立つと、春夏秋冬、阪口さんの元気で温かい声が聴こえてきそうである。
写真(上)は在りし日の阪口繁昭さん。写真(中)は阪口さんの自宅のあるJR・南海橋本駅の周辺=丸山公園より。写真(下)は阪口さんら建立の米軍銃撃による橋本駅での犠牲者6人の慰霊碑に飾られた供花=阪口さん告別式の10月17日撮影。