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紀の川畔に河童の祠♪橋本・赤塚~昔話も楽しく

紀の川の愛称・河太郎岩(がたろいわ)に向かって、可愛くお辞儀する「河童の祠(かっぱのほこら)」が、和歌山県橋本市赤塚にあり、隠れた昔話「がたろ岩」の舞台として、地域住民に愛されている。水難事故に遭わないようにと「河童の祠」に祈りを奉げてきた元・小学校校長で、高野山真言宗・定福寺(じょうふくじ)の生地清祥(おんじ・せいしょう)住職は「多くの方々にロマンあふれる紀の川を知ってもらえたらうれしい」と話している。
河太郎岩は、紀の川・旧恋野橋の少し下流の左岸から約15メートルの川中にある。その形は河太郎の遊泳姿で、頭には大きな皿が乗っている。
「河童の祠」は川岸の竹林わきにあり、祠の中で小さな河童が正座して両手をつき、紀の川の河太郎岩に頭を下げている石像である。
生地住職は平成11年(1999)4月、同市恋野・赤塚の児童が通っている市立恋野小学校の校長に就任した。
その頃、地元の石材業・石橋達雄(いしばし・たつお)さん(故人)が、自ら彫った河童の石像を寄贈し、住民有志が木造の祠を作って祀った。石橋さんは、紀の川の河太郎岩を親、河童の石像を子供とみて、子供が親に挨拶している姿を表したらしい。
近くの紀の国印刷の織田信良(おりた・しんりょう)代表(69)の話では、さっそく地元住民による「がたろう会」が結成され、毎年7月の「海の日」に約60個もの提灯(ちょうちん)を参道に飾って、「がたろうまつり」を開いてきた。
生地住職が「河童の祠」の前で読経し、会員らとともに水難事故防止、犠牲者供養、家内安全を祈願。今は人口減少などで、まつりは行わていないが、地元住民は日々丁寧に献花したり、祈りを奉げたりしている。
織田さんは「私たち子供の頃は、ここから仲間たちと紀の川へ飛び込み、あの河太郎岩の背中で休息し、そこを拠点に泳いだものです。アユ釣りなども楽しかったですよ」と述懐した。
生地住職は「多くの先人たちに愛された河太郎岩。川岸に建立された河童の祠。ほんとうに素晴らしい紀の川畔ですよ」と讃えていた。
◇追記=生地住職は恋野小学校の校長時代、昔話「がたろ岩」を執筆し、当時の「がたろう会」会員や児童たちに配布している。その昔話「がたろう岩」は次の通りです。
紀州と大和の境近くの紀の川に、「がたろ岩」という岩があります。このあたりは風景がたいへんきれいで、近くの人々がとても好きなところです。そのがたろ岩には、昔、こんな話があったそうです。
この、がたろ岩には、紀の川に住んでいたといわれる、かっぱがよく遊びにきていました。かっぱたちは、この岩にのぼって、川に飛び込んだり、すもうをとったり、休憩することが大好きでした。特に暑い夏の、よく晴れた月夜の晩はにぎやかでした。
かっぱは、いたずらも大好きで、お百姓さんの牛をかってに連れ出したり、人の後ろに静かに近付いて、腰の帯を引っ張って驚かしたり、田んぼや畑でかけっこしたり、こどもに目隠しをしたり、台所に入っていって荒らしたりしたそうです。
かっぱには人間の大人の七人分の力があるし、とてともすばしこいので、村の人たちは、このかっぱたちのいたずらにはずいぶん困っていました。
ある年の夏のことです。
その年は日照りが長く続き、梅雨にも雨がとても少なく、農作物はひどい不作でした。かっぱは野菜が大好きで、その中でも特にきゅうりが大好物でしたが、この年は作物がほとんどとれなかったので、好きなきゅうりも食べられませんでした。
ある日の昼ごろ、子どものかっぱが、
「きゅうりが食べたい、きゅうりが食べたい」
と畑の中をさがしていました。お腹がすいていたので、ふらふら歩きでした。その上、かんかん照りのとても暑い日で、歩くのもやっとでした。きゅうりは見つからないし、疲れもどんどん出てきました。歩いていると、出っ張っていた石につまずいて、ばったりと倒れてしまいました。その拍子に、頭のお皿の水が全部こぼれてしまい、あっという間に土に沁みこんでしまいました。かっぱは頭のお皿の水がないと力が出ません。子どものかっぱはその場で動けなくなってしまいました。
畑の見回りをしようと家から出てきたお百姓さんが、倒れているかっぱを見つけました。日頃からいたずらをされているので、今日はこらしめてやろうと思ったのですが、こどものかわいいかっぱだったし、弱っている様子だったので、どうしようかと思いました。家に帰って奥さんと相談しました。そして、相談の結果、助けてあげることにしました。お百姓さん夫婦は、おけに水を入れて、大切にしていた少しのきゅうりをもって畑にもどってきました。
頭のお皿に水を入れてやると、かっぱは少しずつ力をつけてきましたが、お腹がすいているようだったので、好物のきゅうりを食べさせてやりました。
「おいしい、おいしい、おいしい」
と、きゅうりをあっという間に食べてしまいました。すると、子どものかっぱは、見る見るもとのように元気いっぱいになりました。
そして、
「ありがとう。ありがとう」と、何度もお礼をいいながら、川に帰っていきました。お百姓さん夫婦も、「よかった、よかった」と思いながら家に帰りました。
その年の秋のはじめに、大きな台風がこの地方を襲いました。不作で、実りの少ない稲だったのですが、刈りいれの準備をしようと思っていたところでした。
雨風が強くなってきたので、お百姓さんは、稲の様子が気になり田の見回りにいきました。田からは水があふれ出し、稲は倒れ、手のほどこしようもないくらいになったのですが、大切に育ててきたお米ですから少しでも多くとりいれようと、目の前も見えないくらいの雨風の中で仕事をしました。
その時、お百姓さんは急に吹いた強い風に押されて足がふらつき、田の側の水かさが増えた小川に転落してしまいました。そして、小川から大水が渦をまく紀の川に流されてしまいました。お百姓さんは
「だめだ、もう助からない。死んでしまう」
と思いながら流されていきました。
と、そのとき、急に誰かが後ろから着物のえりをつかみました。お百姓さんは引っ張られながら川の岸へ岸へと近づいていきました。
「助かった。ありがい」
岸へ這い上がって振り返って見ると、大人のかっぱでした。
「この前は、子どもを助けてくれてありがとう」
といって、水の中に消えていきました。
家に帰って、そのことを奥さんに話をすると、奥さんも、涙を流して喜んでくれました。着物がずぶ濡れだったので、着替えようとして帯を解くと、足元に何かがどさっ、と落ちました。見るとふくれた重そうな布の袋でした。恐る恐るあけてみるとたくさんのお金が入っていました。お百姓さんはびっくりしました。お金といっしょに手紙が入っていました。
「こどもを助けてくれてありがとうございました。このお金はお礼です。何かに使ってください」
と書いてありました。お百姓さん夫婦はまたもびっくりしました。そして、このお金を何に使うかを話し合いました。このお金は、台風で荒れた村の田や畑を修理する費用に使いました。次の年から、この村では野菜やお米がよく実るようになり、人々はたいへん喜びました。
しかし、それからこのあたりでかつぱの姿を見た人はいませんでした。
いつしか村の人々は、かっぱたちのよく遊んでいたこの岩のことを、「がたろ(かっぱ)岩」というようになりました。
暑い夏の月のよく見える夜には、がたろ岩の近くから、かっぱたちの楽しそうな話声が風に乗って聞こえてくるそうです。(おしまい)
写真(上、下)は河童の祠に供花して水難事故防止、家内安全などを祈る織田信良・悦子(えつこ)さん夫婦。写真(中)は可愛く河太郎岩にお辞儀する祠の中の河童。

更新日:2019年4月23日 火曜日 00:00

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