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心潤う♪日本さくら草展~学文路の燕庵70鉢ずらり

和歌山県橋本市城山台在住の「浪華さくら草会」会長・中村民治(なかむら・たみじ)さんは、自己所有の同市学文路1564の1の古民家・燕庵(つばくろあん)の庭で、「日本さくら草展」を開き、多くのさくら草ファンの心を癒している。26日(金)まで。観覧無料。
中村さんは元高校数学教諭で、8年前に退職後、毎年同展を開いて友人知人に披露。2年前からは日本情緒豊かな日本さくら草を一般公開した。
古民家に貼り出した説明書によると、「さくら草は江戸中期に栽培が進み、天保の頃に出来た連(れん=サークル)が品評会を行った。武士の世が終わった明治には、華族資産家、植木屋に引き継がれたが、関東大震災や第二次世界大戦で、多くの品種が消滅。戦後、民主化のお陰で、庶民が栽培するようになった」と綴っている。
「日本さくら草展」では、燕庵の庭に2本の幟旗を立て、中村さん自ら栽培した約900鉢の中から、約70鉢を選び出し、自ら構築した木造展示屋形に出展している。例えば「松の雪」という名のさくら草は、白い花に緑の縁取りがあり、これは積雪で松の緑が少し見えている風情。
「蛇の目傘」は芯が長く傘を差した情緒があり、日露戦争後に命名されたという「戦友」は、戦勝の喜びの空気が伝わってきそう。このほか、東京オリンピックの頃の「聖火」、大阪万博の頃の「太陽の塔」など、すべての鉢に名札が立てられている。
中村さんは20歳の頃、さくら草の可憐さに加え、「つかみ咲き」や「かがり弁」など、その変化に魅了されて栽培開始。その後、仕事と家庭生活の中で、長らく「休息」したが退職後、栽培を再開した。
さくら草を毎回観賞している橋本市妻の日本板画院同人・巽好彦(たつみ・よしひこ)さんは「日本さくら草は、江戸時代の浮世絵師・喜多川 歌麿(きたがわ・うたまろ)が描いた着物にも表現されています。中村さんは日本さくら草の歴史を究めながら、わずか1週間ほど咲かせるために1年間、丹精こめて育てておられる。そのことにも感動致します」と話していた。
開催時間は午前10時~午後3時。場所は紀の川南側の山腹を走る「紀の川フルーツライン(広域農道)」の橋本市と九度山町の境界付近の北側。同ライン沿いの小さな辻に「燕庵」の案内標識が立っている。
写真(上)は沢山の日本さくら草に見入る女性たち。写真(中)はすべての鉢に名札を立てている日本さくら草の数々。写真(下)は「日本桜草展」の幟旗がはためく「燕庵」の庭。

更新日:2019年4月21日 日曜日 00:00

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