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石童丸の母、御遠忌法要♪橋本・西光寺学文路苅萱堂

平安時代の親子哀話・石童丸物語のヒロイン・千里ノ前(ちさとのまえ)の命日の3月24日、その菩提寺である西光寺学文路苅萱堂(さいこうじかむろかるかやどう)=和歌山県橋本市学文路=で、「没後855年御遠忌(ごおんき)法要」が営まれた。
石童丸物語は、筑紫の国(福岡県)の領主が、苅萱道心(かるかや・どうしん)と称して高野山で修行。道心が出家後、2番目の夫人(側室)・千里が生んだ一子・石童丸が、父と会いたさに、千里と共に高野山をめざす。
女人禁制のため、母を山麓の宿「玉屋(たまや)」に残して道心に会ったが、修行中の道心は父と名乗れず、落胆した石童丸が「玉屋」に戻ると、母は心労のため急逝していた。石童丸は道心の弟子となるが、生涯、父子の名乗りはできなかったという哀話である。
この日、田野賢朗(たの・けんろう)住職が読経。畑野富雄(はたの・とみお)檀家総代はじめ檀信徒ら約20人が合掌して、千里ノ前の冥福を祈った。
同苅萱堂の岩橋哲也(いわはし・てつや)顧問によると、松尾芭蕉が「奥の細道」へ旅立つ前年、母の位牌を持って、苅萱堂前の表参道から高野山へ参拝した。芭蕉の「父母のしきりにこひし雉子(きじ)の声」の句碑が、奥の院参道に建っており、その句意は、「父母を慕う石童丸」の心に通じている。
法要の後、本堂・縁側から「餅まき・お菓子まき」が行われ、子どもを含む約30人の善男善女が、どっと飛んでくる餅やお菓子を拾って大歓声を上げていた。
田野住職は「本堂南側に千里ノ前の宝篋印塔(ほうきょういんとう)や、墓所に埋まっていた墓石を祀っており、大勢の方々が参拝してくれます。家族の情愛が流れる石堂丸物語をずっと伝承してほしいです」と話していた。
写真(上)は西光寺学文路苅萱堂で営まれた千里御前の没後855年御遠忌(ごおんき)法要。写真(中)は千里ノ前の墓所=正面が宝篋印塔、右は墓石。写真(下)は「餅まき和菓子まき」に大喜びの家族連れら=同苅萱堂境内で。

更新日:2019年3月24日 日曜日 20:54

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