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さようなら♡3代目ケーブルカー♡極楽橋駅で引退式
南海電鉄=遠北光彦(あちきた・てるひこ)社長=は11月25日、和歌山県高野町の高野山ケーブル極楽橋駅で、次世代にバトンタッチする「3代目ケーブルカーの引退セレモニー」を開き、集まった同電鉄や鉄道ファンなど約200人が、懸命に写真撮影しながら、「ありがとう、さようなら」と別れを告げた。
高野山ケーブル(極楽橋~高野山駅(0・8キロ、高低差328メートル)は、昭和5年(1930)に開業。同39年(1964)に3代目ケーブルカー(2両2編成・定員261人)を導入。54年間、国内外からの参拝・観光客を輸送してきた。
3代目は11月25日で引退し、来年3月初旬、4代目が登場。高野山駅地下の巻き上げ機も新造される。それまで南海高野線・橋本駅~高野山大門・南駐車場間で、大型バスによる代行輸送が行われる。
「3代目ケーブルカー引退セレモニー」は、同日午前10時10分から、極楽橋駅ケーブルカーホームで行われ、同電鉄の佃吉朗(つくだ・よしお)取締役営業推進室長が主催者挨拶し、高野山のマスコットキャラクター「こうやくん」が乗務員に花束を贈呈。中谷晴彦(なかたに・はるひこ)高野山駅長(極楽橋など6駅兼務)と、勢井昭二(せい・しょうじ)高野山検車区長が「くす玉」を割って感謝した。
3代目ケーブルカーは同10時24分、汽笛合図とともに高野山駅に向けて発車。同電鉄社員が「ありがとう」の横断幕をかざし、鉄道ファンと一緒「ご苦労さまでした」と、3代目ケーブルカーの勇姿を見送っていた。
[佃・取締役営業推進室長の挨拶]は次の通り(一部略)
「この3代目高野山ケーブルカーは、1964年(昭和39年)12月17日、東京オリンピックの年に運行を開始しました。翌年に控えた高野山開創1150年記念大法会の参拝客の輸送に対応するため、ケーブルカーとしては初の2両連結で定員は261人と国内最大級のものであります。また、自動運転の導入や電気式の自動扉は、当時のケーブルカーとしては画期的なものでした。
本日までの54年間、のべ5700万人以上の多くのお客さまにご利用いただき、走行キロは202万キロメートルにも及び、地球を50周以上走ったことになります。
この間、1984年(昭和59年)の弘法大師ご入定1150年ご遠忌や、2015年(平成27年)の高野山開創1200年記念大法会などの大量輸送や、高野山内の方々の通勤・通学の足として、また林間学校でご利用いただくなど、皆様方におかれましても、様々な思いでシーンが蘇ってくることかと存じます。
さて、明日より、ケーブルカーは運休させていただき、来春には、新しい4代目ケーブルカーがデビューいたします。新型ケーブルカーのコンセプトは、「期待感」「癒し・調和」「安全・安心」であります。
車体はスイス製、流線形が特徴的で、壇上伽藍の根本大塔を想起させる朱色を基本カラーとして採用し、聖域高野山への麓の「期待感」を醸成いたします。
内装は木目調で「癒し・調和」を演出しております。さらには、床面に滑りにくい材質を採用するなど「安全・安心」にご利用いただける車両となる予定でございます。どうぞご期待いただきたいと思います。
なお、当社では、この3代目ケーブルカーの引退に併せまして、初代ケーブルカーが1930年(昭和5年)に開通して以来の貴重な写真を集めた歴史展や、記念乗車券の発売、スタンプラリー、撮影会などを、高野山・極楽橋の両駅で実施しておりますので、3代目ケーブルカーの最後の勇姿とあわせて、ぜひご利用をお願いしたいと思います。
最後に、3代目ケーブルカーの54年間もの長きにわたるご愛顧に感謝申し上げますとともに、来春の4代目新型ケーブルカーのさらなるご利用もお願い申し上げまして、ご挨拶とさせていただきます。本日はありがとうございました」
写真(上)はくす玉割りで3代目ケーブルカーに感謝と別れを告げる佃・南海電鉄取締役営業推進室長=中央=と中谷・高野山駅長、勢井・高野山検車区長。写真(中)は乗務員に花束を贈呈する高野山のマスコットキャラクター「こうやくん」。写真(下)は大勢の参拝・観光客が乗り込む3代目高野山ケーブルカー運行最終日の風景=いずれも極楽橋駅で。