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藤の花影、高野山へ登る~快晴の日曜、町石道を続々

弘法大師・空海の「高野山開創1200年記念大法会」が営まれている4月26日の日曜日、大師の御母堂を祀る和歌山県九度山町の女人高野別格本山・慈尊院から、高野町の高野山へ至る「町石道(ちょういしみち)」は、健脚の高齢者や小中学生の長い列が続いた。
町石道とは、開創当初から、慈尊院と高野山を結ぶ貴重ルート。「町石」は五輪卒塔婆(そとば)の道標で、平安時代は木製だったが、鎌倉時代には腐敗しない石造に変革。今も慈尊院~高野山・根本大塔(22キロ)に180基、大塔~奥の院・弘法大師御廟(4キロ)に36基が建ち、うち約150基は、往時の形をとどめている。
快晴のこの日、慈尊院には全国各地から観光バスやマイカーで参拝・観光客が続々到着。南海高野線・九度山駅からの電車組も含めて、境内は人、人、人の波。読経が流れる中、御開帳の弥勒堂の秘仏・本尊弥勒菩薩座像(国宝)を拝んだり、高野山案内犬・ゴンの石像前で記念撮影したり。多くの人々が心を癒した。
この後、大半は車で高野山に向ったが、一部は、町石道から徒歩で登って参拝。慈尊院や丹生官省符神社の裏手にある、休憩所&駐車場周辺では、藤棚から紫の藤の花房が垂れ下がり、紅白の花水木(はなみずき)の花も楚々として満開。リュックサックを担いだ小中学生や、健脚の高齢者グループの列が、次々と町石道を歩いた。
慈尊院では、「高野山開創1200年記念大法会」(~5月21日)期間中、国宝・弥勒菩薩座像を御開帳。
同20日(水)午前10時からは、大法会記念として、第1部で「報恩謝徳法会」(高野山真言宗和歌山青年教師会主催)を営む。
第2部では高橋洋子さんの「祈りの歌奉納」と、真言宗御室派般若寺の福嶋弘昭(ふくしま・こうしょう) 第90世住職による法話「山寺で観えたもの~高野山開創1200年に思う」(慈尊院主催)が開かれる。
写真(上)は藤の花房の向こうの町石道を登る子どもたちの列。写真(中)は花水木の花も満開。写真(下)は慈尊院近くの勝利寺・紙遊苑前にある休憩所&駐車場=トイレもある。


更新日:2015年4月27日 月曜日 00:00

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