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初の「城山・長藪城跡めぐり」~城山小・児童大喜び

和歌山県橋本市城山台の橋本市立城山小学校=林民和(はやし・たみかず)校長=の6年生児童は、秋晴れの11月19日、初めて郷土の城山に登り、中世の「長藪城跡(ながやぶじょうせき)めぐり」を行った。これは「ふるさと学習」の一環で、NPOネットワーキング紀北や民生児童委員など、地域住民の協力で実現した。林校長は「きょうは古里の城跡を歩き、その歴史を知り、郷土の人々の親切を感じることができました。この貴重な〝城跡めぐり〟は、毎年実践して、本校の伝統行事にしたい」と語った。
和歌山城郭調査研究会の吉田亘(よしだ・わたる)さんによると、城山の長藪城は、守護・畠山氏に仕えた牲川義春(にえがわ・よしはる)が、文明年間(1469~86)に奈良・十津川の野武士を集めて築城。今は、城山(3つの峰)に東の城、西の城、出城の城跡が残されている。その城郭の総延長は約1キロに及び、その規模は「紀北第1級」「紀伊国最大級」とも称されている。
この日、同校6年生の男女56人と引率の向井敬二(むかい・けいじ)教頭ら3人、ネットワーキング紀北や民生児童委員、保護者ら約20人が同校に集合。
特別講師の吉田さんとともに、標高214メートルの高台にある同校を出発、さらに標高347メートルの城山の「西の城」の城跡まで歩いた。山林内で昼食した後、その帰り道で、今度は標高300メートルの出城跡(でじろあと)を見聞。同校から往復延べ約4キロをめぐり歩いた。
途中、吉田さんは、今は建物がなく、遺構だけになっている幻の〝西の城〟や、幻の〝出城〟付近で立ち止まり、敵の攻撃から防備する城郭について、廓(くるわ)、堀切(ほりきり)、土塁(どるい)などの遺構を詳しく説明、子供たちの心を中世の時代にタイムスリップさせていた。
学校に帰ると、地域の人々が、すでに熱々のぜんざいを用意。子供たちは行儀よく、校舎わきに座り、ぜんざいを味わって、最後に一人一人「ありがとうございました」と、お礼を述べていた。
ネットワーキング紀北・副理事長の浅井徹(あさい・とおる)さんは、「いろんな方々が、草刈やロープ張りなど、山道を整備してくれたので、実現できたのだと思います」と説明し、向井教頭も「お陰様で事故もなく、子供たちは気持ちよく、古里学習ができました」と謝辞。
林校長は「自分の小学校の名前である城山に、しっかり自分の足で登り、吉田先生からは、正しく郷土の歴史を学ぶことができました。この行事は何よりも、古里に長藪城があったことを知り、心身を鍛え、郷土への愛着も深まりますので、将来、きっと子供たちの成長に役立ちます。来秋以降も、必ず実践していきたい」と誓っていた。
写真(上)は城山「西の城」の城跡について吉田さんの説明を聴く城山小学校6年生児童たち。写真(中)は長藪城跡のある城山の遠景。写真(下)は城山の山林で昼食を楽しむ城山小6年生児童たち=城山小学校撮影・提供。


更新日:2014年11月20日 木曜日 00:00

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