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空海伝授の「和紙」子供ら紙漉体験~九度山・紙遊苑

弘法大師・空海が中国の製法を伝えたとされ、その製法を伝承している紀州高野紙伝承体験資料館「紙遊苑(しゆうえん)」(和歌山県九度山町)で、11月16日、同県海南市青少年リーダー育成研修会の小中学生30人が、高野紙の紙漉(かみすき)を体験した。今では高野紙の紙漉農家も途絶えているが、この高野紙がルーツとされる埼玉県の細川紙(ほそかわし)などの「和紙 日本の手漉和紙技術」が、近くユネスコ(国連教育・科学・文化機関)の無形文化遺産に登録される見通しで、引率の同研修会・子ども会の坂口博(さかぐち・ひろし)会長は、「ちょうどいい機会に、歴史的な紙漉体験ができて、子どもたちもいい勉強になりました」と喜んでいた。
高野紙の紙漉は、古くから高野山麓の九度山町古沢地区を中心に行われ、最盛期には100軒を数えたという。江戸時代には、その製法が埼玉県小川町に伝わったとされ、今は和紙産業が盛んになっているが、逆に九度山町では後継者難のため数年前、紙漉農家が完全に途絶えてしまった。
それでも平成11年4月、当時の九度山町教委の松山健(まつやま・けん)指導員(81)は、「たとえ九度山から紙漉産業はなくなっても、この歴史的な技術は、次世代へ伝承しなければ」と紙遊苑の開設を発案。町や町教委、住民の協力を得て、荒廃していた高野山真言宗・勝利寺の庫裡(くり)を改修して開苑した。
小川町は当時、細川紙のルーツと思われる紙遊苑の開苑を祝福して、細川紙で作ったジャンボ・七夕飾り(ボンボリ)3本を紙遊苑に贈呈。同苑では展示室に昔の紙漉風景のジオラマ、木製の紙漉器具を出展し、このジャンボ・七夕飾りを天井からぶら下げて、両町の縁を大切にしてきた。
国は、この細川紙と岐阜県の本美濃紙(ほんみのし)について、すでに2009年、登録済みの島根県・石州半紙(せきしゅうはんし)に追加・登録を申請、近く正式決定する見通し。
この日、同苑は水に楮(こうぞ)の繊維やトロロアオイを入れた漉き舟を準備。同研修会の地域活動&子ども会の小学校4年~中学1年生の男女児童・生徒が紙遊苑に到着。子どもたちは、稲葉孝(いなば・たかし)館長ら2人の指導を受けながら、紙漉器具を布できれいに磨いた後、紙漉作業に挑戦。四角い簀桁(すけた)を前後にゆすり、漉き舟の水をすくい上げると、簀桁には色紙大の薄くて白い幕が張った。これを板に貼りつけ、天日干しして高野紙ができあがる。同研修会では、手作りの高野紙を持ち帰り、そこに書や絵画を描いて、オリジナル作品に仕上げる方針。
坂口会長は「きょうの研修会は、集団生活のリーダー養成が目的ですが、たまたま日本の手漉和紙技術がユネスコ無形文化遺産に登録される時期に、紙漉体験ができてラッキーだと思います。立派なリーダーになるいい勉強になりました」と話した。
写真(上)は裸電球の下で高野紙の紙漉を体験する子どもたち。写真(中)は簀桁を布で清潔にする子どもたち。写真(下)は紙漉方法の指導を受ける子どもたち。


更新日:2014年11月17日 月曜日 00:02

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