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橋本の〝地方紙・縮刷版〟できた!~図書館で公開

和歌山県橋本市の橋本市図書館=宮井利明(みやい・としあき)館長=は、昭和26年(1951)~平成8年(1999)、橋本・伊都地方のニュースや話題を紹介してきた地方紙「紀の川新報」と「きのかわ新聞」=いずれも廃刊=の縮刷版(計15冊)を刊行した。同館では「紀の川新報」の社長で主筆だった故・児玉泰(こだま・たい)さんの遺品とともに、両紙の縮刷版を公開し、宮井館長は「両紙には素晴らしい写真、記事が紹介されていて、郷土の歴史的資料としても貴重。昔のまちの様子を知りたい方は、ぜひ閲覧ください」と言っている。児玉さんの遺品展示は、「前畑秀子さん生誕100周年記念展」とともに、9月21日(日)まで。入館・閲覧は無料、コピー料金は原則1枚10円。

「紀の川新報」は、昭和26年9月8日~同58年3月21日、旬刊紙として1134号まで発行。「きのかわ新聞」は、同59年4月1日~平成8年3月21日、同じく419号まで発行された。

先ず「紀の川新報」発刊の挨拶文を要約すると、「占領政策下六年間、すでに身の丈も短くなった敗戦色の衣を、サッパリと脱いで、今こそ、主権回復、独立国家の制服を身につける日が、遂に来たのである」と、復活の心意気を見せ、それでも「国民全体の英智と良識によって、両極に、はしらず民主国家としての正しい中道を歩みたいものである」と冷静さを失わず、さらに「いささかなりとも地方のため、郷土のため、ここに懸命の努力をしてみたいのです」と唱えている。

昭和28年の記事例(見出し)を見ると、「町内に12の肥溜(こえだめ) 5月から汲み取り」「自家発電 近く試運転 信太農家の福音」「希望の本が借れる 町村に月例文庫 優良公民館の視察」「タダになる 学文路渡船」「炭は早くも暴騰 富貴の窯の増加で 値上りを抑制か」など、郷土のさまざまな情報を発信。最後の廃刊理由については、社告で「児玉社長の逝去により」と愛読者への謝辞で締めくくっている。

また、「きのかわ新聞」は、「紀の川新報」の廃刊を受けて、きのかわ新聞株式会社=中田兼弘(なかた・かねひろ)社長(故人、当時・海南印刷社長)=を設立。元・読売新聞記者・大上洸冶(おおうえ・こうじ)さん(88)が編集長を務めた。

発刊挨拶の要旨は「情報化社会の中で、大きなニュースには事欠かないが、身近な情報を伝えることも重要であり、厳正・公平を社是として、ローカル新聞の特色を発揮したい。紙面への批判、ご注文は大歓迎です」と表明してスタートした。

昭和59年5月の紙面には、連載企画「店名です よろしく」のタイトルで、郷土の老舗(しにせ)「みそや呉服店」を掲載。その名の由来について、江戸時代中頃に味噌を製造し、慶應元年(1865)に呉服屋を創業した際、谷口呉服店としたが、明治中頃には、みそや呉服店に改名したと紹介している。

同年7月の紙面では、シリーズ「写真でみる橋本市の今昔」(第1回目)のタイトルで、「国鉄橋本駅」の今昔写真を掲載。「国鉄和歌山線が開通したのは明治三十四年。上の写真は大正時代の橋本駅。昔なつかしいカンカン帽やゆかた姿が見られるところから夏の光景。駅前広場では下車してきた客を待つ人力車が並ぶのどかさ。このころから駅前通りに飲食店や商店が立ち並び、町の中心地として発展していった(後略)」と解説している。

閉刊時には、「閉刊のお知らせ」として、「景気低迷が経営圧迫を招き、事業継続は不可能と判断しました」という趣旨を述べ、広告主や社員への謝辞で締めくくられている。

一方、館内に展示された児玉さんの遺品は、愛用の扇子、万年筆、所属結社の歌集など約20点。色紙には自作・自筆の「大和の国 大峯あたり夕立か 雲罩(こ)めてゐて雷すなり」の短歌がしたためられている。

児玉さん=明治35年(1902)~昭和58年(1983)=は、和歌山県田辺市出身。大正11年、田辺の「牟婁(むろ)新報社」主筆、昭和2年、橋本の「大正新聞社」主筆、昭和3年、毎日新聞記者、昭和26年、紀の川新報創立・社長・主筆などを歴任。今なお、その功績を讃える郷土人は多い。

大上さんは昭和27年~同56年、読売新聞記者として、高野山・金剛峯寺や橋本・伊都地方の全分野を担当。郷土を熟知する敏腕記者として知られ、「きのかわ新聞」発刊から閉刊まで編集長を務めた。

大上さんは橋本市胡麻生の自宅で、「児玉さんは、新聞記者の素晴らしい大先輩であり、児玉さん亡き後、その業績を途絶えさせないためにもと、きのかわ新聞を創刊しました。最後は景気低迷で、やむなく廃刊となりましたが、若い記者たちは、よく働いてくれました」と述懐した。

宮井館長は「これら地方紙の縮刷版は、当館のデジタル化に伴い、真っ先に制作しました。縮刷版は、昔のまちの様子がよくわかると、なかなかの好評で、皆さん、大切な新聞記事については、コピーして持ち帰られます」と言っている。

写真(上)は在りし日の児玉泰さんの若い頃の写真と遺品展示コーナー。写真(中)は橋本市図書館に展示されている「紀の川新報」「きのかわ新聞」の縮刷版。写真(下)は児玉さんの遺品展示コーナー。


更新日:2014年8月23日 土曜日 00:32

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