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連載「橋本を彫る~巽好彦の世界~」その⑩

《川風の吹く街》
紀の川は橋本の母なる川。橋本橋から川上の南海電鉄の鉄橋までの風景は、橋本に住んだ人間にとって、忘れがたきもの。川岸に建てられた民家は、歴史を秘めて川面に影を落とし、川は流れる。また、この川は、前畑秀子さん、古川勝さんという、オリンピック金メダリストを生んだ川。ワンドの呼び名で、子供心にこの急流に挑み、真夏の一日を水に戯れた思い出は、忘れがたい。
《道標石のある町》
江戸末期の名著〝紀伊名所図会〟に、橋本の東家の四ツ辻が画き残されている。そこには伊勢街道と高野街道が交わり、旅人が行き交う人々の生活の姿が写し出されている。その風景の中に、少し位置は違えども、今も軒先に同じ〝しるべ石〟が、時を超えて立っている。行き交う旅人を眺め、歴史を見つめてきた、この〝しるべ石〟旅人もまた、そこに書かれた地名を見て、どんな思いを抱いたことであろうか。
《東家の渡し場跡》
かつての高野詣りの旅人は、紀見峠を下ってきて、橋本の東家に至り、紀の川に出あう。この大河には橋がないが、渡し舟があったので、多くの人たちが行き交った。ただ、一たび増水になれば、幾日も足止めをくい、向こう岸にはなかなか渡れなかったという。ここ東家の渡し場跡にも、きっと多くの人々の思いがあったと思う。今も大きな常夜燈が残り、三軒茶屋の燈篭とともに、往時の紀の川渡しの賑わいぶりが偲(しの)ばれる。
(木板画・文=日本板画院同人・巽好彦さん)
写真(上)は川風の吹く街。写真(中)は道標石のある町。写真(下)は東家の渡し場。


更新日:2013年1月10日 木曜日 21:04

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