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五輪金・前畑さんの「謝辞」…資料館へ寄贈保存
1936年のベルリン・オリンピック水泳女子平泳ぎで、前畑秀子さん(結婚後・兵藤=1914~1995)が優勝した〝記念プール〟が、郷土の和歌山県橋本市古佐田に建設された落成式の際、前畑さんが読んだ「謝辞」(巻紙)と、お礼の絵葉書が、7月5日、前畑さんと親交のあった元区長の阪口繁昭さん(84)から、橋本市郷土資料館に寄贈された。「謝辞」と「絵葉書」の筆跡が、酷似していることから、「謝辞」は前畑さんの直筆と見られ、有澤斗志夫館長は「誠に貴重な資料であり、大切に展示・保存したい」と言っている。
前畑さんが優勝した同オリンピックでは、水泳女子400メートル自由型で、同郷の小島一枝さんも6位入賞を果たした。
旧・橋本町は1938年8月11日、地元の紀ノ川に注ぐ橋本川の左岸に建設した「前畑・小島 記念プール」で落成式を開催した。
前畑さんは大勢の関係者の前で、「謝辞」として長さ1・4メートル、幅18センチの巻紙を手ほどきながら、「永年の宿望でありました 我が橋本町の記念プールも 建設委員長様はじめ 町の有力なる方々の 御熱心なる御盡力(ごじんりょく)によりまして ここにこの良き日に當(あた)り 目出度く落成することができました(一部略)」と読み上げ、「目前には 新緑に包まれた国義山(国城山)を仰ぎ 下には清き紀の川の流れと共に この記念プールで泳ぐ 幾多の子供たちよ(一部略)」と続き、「この立派な記念プールより幾多の有名なる選手の方々が出られますよう私は希望致す次第であります」(一部略)と結んでいる。
絵葉書は、阪口さんが、同プールの写真を前畑さんにプレゼントしたことへの礼状で、1991年7月、岐阜市の自宅から「兵藤秀子」として、届いている。「謝辞」は毛筆、絵葉書はペン書きだが、両方の筆跡を照合すると、例えば「立派」や「記念」などの文字は、素人目にも一致していて、「謝辞」は前畑さん自身が考え、自ら執筆したものらしい。
前畑さんより20年後のメルボルン・オリンピック(1956)では、同郷の古川勝さん(1936~93)が男子200メートル平泳ぎで優勝。この古川さんは、少年時代から、前畑さんと同じように紀ノ川で泳ぎ、すでに老朽化していた「前畑・小島記念プール」で練習。前畑さんが謝辞で「幾多の有名なる選手の方々が出られますよう…」と読んだ期待に、見事、応えている。
金メダルに輝いた前畑さんの競技場面は、当時のラジオの実況放送で、NHKの河西三省アナウンサーが「前畑ガンバレ、前畑ガンバレ」と、20回以上も連呼。最後には「前畑勝った、前畑勝った、勝った、勝った、勝った…」と叫び続け、前畑の頑張りと、アナウンサーの伝達ぶりが、全国民の心をゆさぶった。
阪口さんは、晩年の前畑さんが脳こうそくに倒れた後、橋本高校の生徒たちが折った千羽鶴を持って、岐阜市の前畑さんを見舞うなど、再三、前畑さん方を訪ねている。「この謝辞は、私が預かっているよりも、資料館で永久に展示・保存していただくべき〝宝物〟です」と話し、〝記念プール〟落成式の旧橋本町の町長らの祝辞4点とともに寄贈した。
阪口さんは「あの記念プールは昭和35年ごろ、老朽化のために撤去されたのは残念ですが、同郷の古川選手が、今は幻のあの〝記念プール〟で自らを鍛え、前畑さんの期待に見事応え、金メダルを獲得してくれたことがうれしい」と述懐。「郷土の誉れ、前畑さん、小島さん、古川さんの活躍を、いつまでも忘れないでほしい」と話した。
橋本市郷土資料館には、前畑秀子さんのコーナーがあり、すでに阪口さんら市民有志から寄贈された前畑さんの〝祝勝のぼり〟〝前畑さん、小島さん、古川さの写真〟〝ガンバレ前畑の実況中継のレコード〟〝金メダルなど数々のメダル〟など約30点を展示している。
有澤斗志夫館長は「前畑さんの謝辞と絵葉書は、とても大切な資料です。ロンドン・オリンピックも近いので、市教委と相談のうえ、前畑秀子さんのコーナーに、ぜひ展示したいと思います」と言っている。
写真(上)は寄贈された前畑秀子さんの「謝辞」と阪口さん(左)有澤館長(右)、写真(中)は前畑さんの「謝辞」のコピー。写真(下)は橋本市郷土資料館の〝前畑秀子さんコーナー〟