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障害克服、立派な画家に~信木さん「妻のお陰…」

17年前に脳梗塞(のうこうそく)を発症し、言語喪失、右半身不随になったが、今では見事、障害を克服し、立派な画家として活躍している人物がいる。和歌山県橋本市隅田町河瀬132の1、元会社員の信木俊輔(のぶき・しゅんすけ)さん(72)で、それを成し遂げたのは、本人の〝意志力〟もさることながら、献身的にリハビリに取り組んできた妻の幸子さん(78)の〝愛情力〟が大きい。奇跡的に回復した右手で描かれた信木さんの淡彩の絵葉書は、多くの人々の感動を呼び、好評を博している。
信木さんは、大阪市城東区に住み、大阪市東部卸売市場で、食品加工会社の支店長をしていた1995年1月17日早朝、阪神淡路大震災に遭遇した。
その前日まで、信木さん夫婦は、東京の長女宅に宿泊していたが、信木さんは仕事のため、幸子さんを残して、一人で自宅に帰っていた。
信木さんは、震災で道路が寸断され、多くの家屋が倒壊した阪神地方の取引先を、必死で見舞った後、極度の疲労から脳梗塞を発症。近くの病院に緊急入院したが、震災当日のことで、病院はてんてこ舞い。結局、脳梗塞を再発して、病状は重くなり、言語喪失、右半身不随(ふずい)となった。
3月上旬、医療・介護などに詳しい長女の紹介で、リハビリ施設が整っている群馬県太田市の病院へ転院。幸子さんは、動かない信木さんの右手に、太いフェルトペンを握らせ、伸び縮みする包帯で縛って、目の前に紙を置き、○や×を書かせた。○は□状になり、×は?状になり、うまく書けなかった。
また、色鉛筆を並べて、リンゴやバナナを描かせたが、リンゴには赤い鉛筆、バナナには黄色の鉛筆が必要なことを、なかなか思い出してもらえなかった。
何度も何度も、同じ作業を繰り返すうち、やがて、ぎこちないものの、子どもが描いたような絵を、やっと描けるようになった。
ある日、信木さんが病院で、歩行訓練中、後ろから体を支えていた先生が、手をはなし、「右」「左」と掛け声だけ掛ける。信木さんが、ペンギンのようによちよちと歩く。先生が前に回って、「信木さん、一人で歩いているよ」と教えると、信木さんが「ワーッ」と大声を上げて泣いたという。
6月下旬に退院。その後は、信木さんのリハビリのため、幸子さんが愛車のジープを運転、助手席に信木さんを乗せて、北海道や東北地方を中心に、全国津々浦々をドライブ。宿泊は車内や民宿を利用し、信木さんに山川の自然や、野鳥のさえずり、四季の風を感じさせた。
1996年(平成8)に会社を辞め、リハビリ病院のある群馬県内に転居。前橋市の画家・唐沢恭二さんに師事。信木さんの絵は段々上達し、誰よりも確かな風景画を描けるようになった。
2000年(平成12)夏には、信木さん夫婦が、青森県黒石市の「青荷温泉」で、湯治のため滞在した際、同温泉社長だった福士収蔵さん(現・津軽伝承工芸館長)が、病気と闘う信木さん夫婦の奮闘ぶりに感銘。福士さんの勧めと厚意により同温泉・ふるさと館を拝借して「第1回個展」を開催した。
会場には、これまで幸子さんの叱咤(しった)激励に従い、機能回復を目指して描いてきた「○」や「×」の労作、クレヨンやクレパスを使った児童画のような絵、唐沢さんの指導を受けた風景画(淡彩)、幸子さんの〝夫の闘病日記〟など約70点を展示した。
これを知った地元のテレビ局や新聞が大々的に紹介。一般市民はもちろん、医師、看護師、介護士、脳梗塞を患った人、その家族らが大勢訪れ、「素晴らしい」「ここまでよく復活した」と大反響。この時、展示即売した「ランプの宿 青荷温泉」の絵葉書(8枚入り=500円)は飛ぶように売れた。
2002年(平成14)には「理学療法ジャーナルPT」(医学書院)に信木さんの作品「青荷温泉12景」、翌年には「北海道12景」が掲載され、07年(平成17)には、同誌発刊40周年記念の特別付録〝絵葉書カレンダー〟に「青荷の春シリーズ」が印刷された。
信木さんは2009年(平成21)8月、中学時代まで過ごした橋本市に帰郷し、古民家を購入して新しい生活を始めた。
すると今度は、九度山町の高野山別格本山・慈尊院へ引越し挨拶に行った際、安念清邦(あんねん・せいほう)住職から、「ぜひ、当寺の案内犬・ゴンの紙芝居を作りたいので、その絵を描いてほしい」と依頼された。
ゴンとは、紀州犬と柴犬の雑種で、1988年春、慈尊院に住みつき、高野山・金剛峯寺までの町石道(ちょういしみち)を、お遍路さんについていくうち道を覚え、連日、大勢の参拝者を先導し、「お大師さんの使いの名犬」として脚光を浴びた。95年に体力が衰えて引退、02年6月5日、老衰のため同院で永眠した。
信木さんは、そのストーリーに従って計11枚のゴンの絵を制作し同寺に納めた。安念住職は「見事に描いていただきました。今、そのストーリー、台詞作りに取り組んでいます。いずれ、ゴンの物語を、大勢の方々に紙芝居で紹介いたします」と話した。
また、今も青荷温泉に置いている「ランプの宿 青荷温泉」の絵葉書の人気は衰えず、すでに増刷を5回も繰り返していて、信木さんは自宅アトリエで、その絵葉書作りに励んでいる。最近では、近くの紀ノ川の河原に降りて、南海高野線・・紀ノ川鉄橋の風景を写生。そのそばで、幸子さんがやさしく付き添っている。
信木さんは「もともと絵画は苦手。ここまで出来るようになったのは、妻の支えがあったからです」とにっこり笑う。幸子さんは「主人は市内の体操クラブに入れてもらって、今も機能回復の訓練を続けています。ここまで元気になれたのは、病院の先生、温泉の社長、絵画の先生、体操の先生…。すべて皆さんのお陰です」と、明るく話した。
写真(上)は自宅アトリエで絵画制作に励む信木さんと、それを見守る妻の幸子さん。写真(中)は青荷温泉で好評を博している信木さんの絵葉書「ランプの宿 青荷温泉」。写真(下)は紀ノ川の河原で南海高野線・紀ノ川鉄橋を写生する信木さん(隣には妻の幸子さんが付き添っている)。


更新日:2012年4月23日 月曜日 21:25

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