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高野山参り〝黒河道〟を世界遺産に~定福寺で祈願

和歌山県橋本市賢堂の高野山真言宗・紫雲山「定福寺(じょうふくじ)」(生地清祥住職)で、地元の有力者でつくる〝堂座講(どうざこう)〟の講員11人が集まり、珍しい〝お性根入れ〟などの年始行事〝修正会(しゅじょうえ)〟が営まれた。また、同寺は県教委や市教委が世界遺産への追加登録を目指す、高野山参詣の〝黒河道(くろこみち)〟の入り口にあり、講員らは「ぜひ世界遺産に登録されますように」と深々と祈っていた。
郷土史家・田中治さんによると、この〝堂座講〟は、約700年前(鎌倉期)、紀ノ川の南側流域を水田に開墾し、冨を築いた開拓者が、財産管理のため協力し、定福寺などを創建したのが始まりで、〝堂の講〟または〝座講〟ともばれているという。
修生会は、本堂で生地住職を中心に講員11人が着座。正面の仏壇を開扉し、阿弥陀如来像に向って読経。生地住職が講員の家族名を読み上げ、鉦を鳴らして、各家庭の安寧を祈った。また〝堂座講〟の長老が「牛玉」と呼ばれる、鎚(つち)の付いた杖(長さ約1メートル)で、〝お性根入れ〟という儀式を行い、杖で講員一人ひとりの肩を叩いて、文字通り〝お性根〟を入れてまわった。
この後、表では長老が〝天地人〟の角度に、講員手作りの弓矢を放って厄払いをし、聖地との境目である結界に弓矢を立てた。さらに生地住職と講員らは、九重石塔(弘安8年、1285年建立、市文化財)に向って読経し、諸願成就を祈った。
さて、「黒河道」とは、重文・利生護国寺から定福寺を経て、明星ケ田和、久保小学校跡、黒河峠を通り、高野山・奥の院に至る約20キロの参詣道を言う。同様の参詣道は〝高野七口〟と呼ばれる7ルートがあり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」には、町石道(入り口の慈尊院、丹生官省符神社など含む)が登録されている。
県教委と関係市町教委は、町石道以外にも〝祈りの道〟があると判断。〝黒河道〟や、女人禁制の時代に、女性たちが参拝した〝結界道〟、南海高野線・極楽橋駅から高野山・女人堂に通じる〝不動坂口〟、かつらぎ町の世界遺産・丹生都比売神社に通じる〝三谷坂〟について、先ず世界遺産に登録される条件「国の史蹟」指定に向けて、現地調査を繰り広げている。
講員の一人、山本一清さん(80)は「昔、町石道の入り口にある慈尊院は〝政所(まんどころ)〟であり、〝黒河道〟の入り口にある定福寺は、その出張所のような存在でした。この参詣道は、橋本~高野山の最短コースですから、弘法大師が高野山を開創して以来、実に多くの人たちが往来したはずです。自然のまま残っている〝黒河道〟と歴史ある定福寺が、世界遺産に追加登録されれば、世界の人たちに当地の素晴らしさを知ってもらえます」と、登録実現を期待している。
同市の木下善之市長は「昨年末には、当市の教育長らとともに〝黒河道〟を3度にわたって、へとへとになるまで歩きました。実に険しい坂道ですが、山中には16軒の集落跡があって、昔、そこで育った一人は〝子どもの頃、親から言われて、往来する参詣客にお茶を振る舞った〟と教えてくれました。〝黒河道〟はまぎれもなく高野山の〝祈りの道〟であり、ぜひ世界遺産に登録されるよう、全力で取り組みます」と語った。
写真(上)は九重石塔に祈る生地住職と堂座講の皆さん(中)は弓矢を放ち厄除けする光景(下)は杖で講員の肩を叩く〝お性根入れ〟=堂座講提供。

更新日:2012年1月11日 水曜日 08:34

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