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〝大峯奥駆道〟全5巻完成~橋詰さん「神仏のお陰」

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大峯奥駆道の取材編集を追えDVDに収録した橋詰さん(自宅で)
    大峯奥駆道の取材編集を追えDVDに収録した橋詰さん(自宅で)
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大峯奥駆道の取材編集を追えDVDに収録した橋詰さん(自宅で)
    橋詰さんが過去に出版した本と大峯奥駆道の行状記を収録したDVD
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大峯奥駆道の行状記の第1巻を披露する橋詰さん(自宅で)
    大峯奥駆道の行状記の第1巻を披露する橋詰さん(自宅で)

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つで、修験者が修行する「大峯奥駆道」を一人で歩き、取材を重ねた和歌山県九度山町九度山、元九度山町教育長の橋詰弘さん(78)が、約8年がかりで、「世界遺産・大峯奥駆道」計5巻を完成させた。うち1巻は紙製本だが、残り4巻はパソコンで文章・写真を編集し、いつでも紙製本として出版できるようにDVDに収録した。橋詰さんは「山伏の道を歩いて遭難し、死ぬような体験をしたが、お陰で神仏のご加護(かご)を享(う)けていることや、人々に支えられて、生きていることを体得できた」と語っている。
第1巻は「世界遺産・大峯奥駆道 生きとったぞ!!」という簡素なタイトル。寄稿した修験道の総本山・金峯山寺配下の田中岳良さんによると、「大峯奥駆道」とは、紀伊半島の中央部を南北に連なる大峯山脈の稜線を走る道のこと。
北は吉野川(紀ノ川上流)の柳の渡し、南は熊野音無川辺の本宮証誠殿を、それぞれ起終点とし、総延長は170キロに及ぶ。柳の渡しは標高155メートル、大峯山脈の最高峰・八経ケ岳が1915メートルで、その標高差は1760メートルの険しい道である。
この道で、約1300年前、役行者(えんのぎょうじゃ)を開祖とする修験者(山伏)が、山に分け入り、断崖絶壁に身をさらし、大自然の中で人間本来の霊力を身につけ、俗界に再生して、衆生救済への献身を目指している。
橋詰さんは、2003年10月20日早朝、奈良県十津川村の釈迦ケ岳(1799メートル)の〝ご来迎〟を撮影しようと入山。豪雨に遭い、明星ケ岳付近で野宿。21日には釈迦ケ岳に着いたが、風雨が激しいため、さらに野宿。22日未明から下山した。
この間、倒れた巨樹の下で風雨をしのいだが、全身びしょぬれで寒く、何度も睡魔におそわれ、軍歌を歌って自身を鼓舞した。また、ブナの樹林の間に象の鼻が見える幻覚症状もあらわれ、「釈迦如来が、それ以上進まないように」と、象を遣わせてくれたと思い、じっとしていたという。当時の新聞は、先ず〝70歳男性が遭難の可能性〟と伝えた後、〝自力で無事下山〟と伝えている。
橋詰さんは、第1巻の第2章「天と地を分ける宇宙古道から奇跡の生還」と題し、改めて遭難場所に赴いて撮影した〝野宿場所〟や、天候が急変した遭難当日の天気図、山中をさまよった山々の地図などとともに、その体験談を綴った。
「行者は〝懺悔懺悔(ざんげざんげ)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)〟と唱えながら修行するが、この3日間は、そのことを垣間見た不可思議な体験であった。人間は自力で生きているという考えは傲慢で、神仏や多くの人々に支えられ〝生かされている〟と考えるようになった」と結んでいる。
このほか、巻頭の言葉は「雲流れる果ての浄土をもとめて」(宮城泰年・聖護院門跡)、第1章「大峯奥駆行状記」(寄稿・田中岳良さん)、親交のある画僧・慧善玄潭(えぜんげんたん)師の描いた「両界曼荼羅図」や、大峯奥駆道を遠方から撮影し、その写真をパノラマ状のつなぎ合わせ、山岳の名前を表示した「平面図」(村井測量設計・村井純孝さん)などで飾られ、修験者の舞台をわかりやすく説明している。
「世界遺産・大峯奥駆道」の第2巻「吉野より山上ケ岳を経て笙ノ窟」、第3巻「大普賢岳より八経ケ岳を経て釈迦ケ岳」、第4巻「釈迦ケ岳より前鬼を経て行仙岳」、第5章「行仙岳より玉置山を経て大斎原」についても、自らの行上記とともに、多くの修験道関係者の寄稿を得て、文と写真、地図などをパソコンで編集。最近、ブームになっているハイカーらの参考になる内容となっている。
橋詰さんは「1巻目は自費出版し、学校や図書館など関係か所に配布しました。ただ、出版には多額の費用が必要なので、とりあえず、いつでも要請があれば出版できるように編集し、DVDに保存しました。いずれ皆様のお役にたてばと思っています」と話した。
橋詰さんの著書には、高野山・町石道を記した「空海と行く宇宙古道」(2002年)、歴史家・北尾清一さんとの共著「熊野古道・小辺路 今昔~高野山から熊野へ」(2003年)がある。
和歌山県高野町細川出身。和歌山大学・学芸学部(理科・数学)卒業。花園中学校を振り出しに九度山中学校で教鞭を執り、退職後、大阪初芝学園進学主事。1990年~01年、九度山町教育長を務めた。


更新日:2011年11月16日 水曜日 18:34

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