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「春の高野山町石道を歩こう」名調子、語り部が講演
和歌山県九度山町の「高野山町石道(ちょういしみち)語り部の会」の女性会員3人は16日、同県橋本市城山台の紀見地区公民館で「私が感じる高野山」と題して講演した。町石道は九度山町の慈尊院から高野町の高野山までの参詣道(24km)で、世界遺産に登録されている。講演を聴いた約30人の市民は、「とても魅力的なので、ぜひ歩いてみたい」と口をそろえていた。
語り部の森田悦子さんは、「山上禁忌について」をテーマに、高野山の女人禁制をわかりやすく解説。高野山を開創した弘法大師(空海)に、はるばる讃岐の国から会いにきた母82歳が、「女人禁制」で登山できず、ふもとの慈尊院に投宿。大師は毎月9回下山し、母に会いにきたこと。女人禁制は弘仁3年(813)、嵯峨天皇の勅命で行われ、その3年後に高野山を開いた大師が勅命を守り、以来、明治維新に僧侶の特権が撤廃されるまで続いてきたこと。女人禁制は高野山の維持、真言密教の教法、仏道修行者の養成のために行われたことを説明。また、「大師が高野山開創の際、蛇を竹ぼうきで大滝に封じ込めたという伝説があり、竹ぼうきには蛇の怨念がこもっているとして、高野山では竹ぼうきを使わない。自生するクロモジやコウヤボウキという木で作った高野ほうきを使う」と話し、持参したクロモジやコウヤボウキを客席に回すと、それを手にした市民たちは「いい香り」「すてき」と大喜びだった。
増谷妙子さんは「お照の一灯のお話」として、16歳の少女・お照が、養父母の菩提を弔うために、高野山奥の院に一灯を献じ、約1000年間、いまなお燃え続けていると話し、
高僧が作詞した高野山の歌を美しい声で披露した。倉田美佐子さんは「祈りの道である町石道について」と題し、町石道に1町ごとに立つ町石(卒塔婆、道標)や、四季折々の花々、夕日や風景などの写真をスクリーンに映し出し、まるで一緒に歩いているような調子で説明した。
会場の市民から「少し歩くのなら、どこがいいですか」との質問に、倉田さんは「慈尊院から丹生都比売(にゅうつひめ)神社までの約7kmがいいと思います」と答えた。この後、参加者同士で、「慈尊院には高野山まで道案内してくれる犬がいた。15年ほど前、私についてきて天野山辺りでいなくなった」とか、「約30年前は産業優先、自然破壊が叫ばれていた時代、町石道も荒れ放題になっていたが、有志数人が整備に汗を流し、今の美しい道がある」と、話が弾んだ。倉田さんは「町石道は、とても気持ちのいい道なので、春先、ぜひ歩いてくださいね」とすすめていた。