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洋画家・面矢(おもや)元子さん72(和歌山県橋本市妻)
橋本市文化協会長、新世紀美術協会員、日本美術家連盟会員、元橋本絵画同好会長
「彼女の作品は、断然、裸婦が素敵」と評判。小学校時代から授業中、よくノートに教師の似顔絵や、窓外の風景を描いていた、根っからの絵画好きだ。和歌山県立伊都高校美術部では、もっぱら石膏デッサンに没頭。基礎を身につけた。家庭の都合で美術大には行けなかったが、電電公社(現・NTT)に就職。幹部候補生として、公社の学園(京都)で学んだ際も、美術部に入部した。当時の美術担当の先生が大の競馬ファンで、何度も競馬場へお供をした。観衆は、なけなしの金銭を賭けて、馬と騎手の疾走ぶりに一喜一憂する。「あの熱狂的な雰囲気。筋骨粒々、颯爽と走る競走馬の姿に見ほれました。絵の道を進むにも、いい勉強になりましたね」と振り返る。最近でも、時には裸馬の絵を描き、それが妙に楽しいという。公社では卓越した才能を発揮。自ら描いた高野山・大伽藍の根本大塔や御影堂、奥の院の風景画は、テレホンカードに採用され、ファンから喝采を浴びた。自分らしい生き方を求め、公社を52歳で勇退した後は、画業に専念。初めて県展に出品した油彩「ベルギーの街のショーウインドー」が、いきなり奨励賞に輝いた。その後、自宅のアトリエで絵画教室を開き、多くの生徒を育て、今は12人の弟子が通う。これまで県展では「裸婦」が知事賞、新世紀展で「作品」Ⅰ、Ⅱが特賞、「女」が刑部(おさかべ)賞に輝くなど、受賞作は多数にのぼる。「キャンバスに心をぶつけると、心はそのまま絵になって表れます。それでいいと思うのですよ」ときっぱり。「喜寿(77歳)までに、これまでの作品を自選し、画集を出版したい」と抱負を語った。 (2011年3月1日 曽我一豊)