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福笹求め竹灯籠に願い事♪寒風の慶賀野蛭子神社

和歌山県橋本市の中世の長藪城址(ながやぶじょうし)近くにある、同市慶賀野143の慶賀野蛭子(けがのえびす)神社=鈴木千鶴子(すずき・ちずこ)宮司=で、1月9日、宵蛭子が営まれ、近郷(きんごう)や南海電鉄・林間田園都市駅の周辺から大勢の市民が参拝し、家族安泰はもちろん「商売繁盛で笹持って来い」を楽しんだ。10日は本蛭子が営まれる。
和歌山県神社庁や橋本市教委などによると、同神社の主祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)で、同神社の造営時期は不明だが、「永享六(1434)年 奉造営蛭兒(ほうぞうえいひるこ)大明神 玉置丹治重政」と書かれた棟札(むなふだ)などが確認されている。
平成27年(2015)11月には、同神社西側の巨樹の根元から、文明6年(1474)の刻印入り五輪塔(ごりんとう)などが発掘され、地名や神社の名称「慶賀野」の意味は、中世の長藪城の「祝・戦勝」を意味するものと推察されている。
この日、同神社奉賛会=小坂隆一(こさか・りゅういち)会長=と、慶賀野婦人会=茶谷喜美子(ちゃたに・きみこ)会長=の会員計約60人が、えびす顔で参拝者を歓迎、温かく接待した。
吹きすさぶ寒風の中、次々と訪れる家族連れや若いグループに、招福俵(しょうふくたわら)や竹宝船(たけたからぶね)などの吉兆(きっちょう)を販売。
参拝者らは、真新しい高さ20センチ程の竹灯籠(たけとうろう)に願い事をしるした後、本殿に向かって二礼二拍一礼。帰りには、同神社の名物「お焼き」(太鼓焼き)を、いくつも買い求めていた。
一方、同神社南側の畳2枚のスペースには、約2年前に発掘された石仏8体と、五輪塔11基(緑泥片岩製)を安置。中世には、近畿各地で起きた水利配分や境界紛争、戦乱や盗賊からの自衛組織が生まれた。
この石仏・五輪塔は、同神社を拠点とする有力メンバーの「信仰の跡」であろう=橋本市の大岡康之(おおおか・やすゆき)学芸員・著=と推測されている。
慶賀野の下坂博信(しもさか・ひろのぶ)区長は「ぜひ主祭神・事代主命とともに、この石仏・五輪塔にもお参りください」と呼びかけていた。
写真(上)は寒風の中、宵蛭子の慶賀野蛭子神社に参拝する人たち。写真(中)は吉兆を披露する下坂・慶賀野区長。写真(下)は慶賀野蛭子神社の入口付近で発掘され祀られた石仏や五輪塔の数々。


更新日:2018年1月10日 水曜日 00:00

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