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〝郷土・橋本市の城〟発行~吉田さん10年がかり

    発行された冊子「郷土・橋本の城」と吉田さん
    発行された冊子「郷土・橋本の城」と吉田さん
    発行された冊子「郷土・橋本の城」と吉田さん
    発行された冊子「郷土・橋本の城」
    発行された「郷土・橋本の城」
    発行された「郷土・橋本の城」

南北朝時代から戦国時代にかけて、和歌山県橋本市(合併後の旧高野口町を含む)にあった〝幻の城〟23ヶ所を調査・研究してまとめた冊子「郷土・橋本市の城」(パートⅠ、Ⅱ)が、橋本市郷土資料館から発行されている。筆者の和歌山城郭調査研究員で郷土史家の吉田亘さんは「橋本に城が沢山あったのは、豪族・隅田一族や、織田信長に狙われた高野勢が、防備を凝らしたためで、ロマンがいっぱいです」と話した。
冊子はいずれもB5判で、パートⅠは20ページ、パートⅡは24ページ。吉田さんが約10年の歳月をかけて、歴史資料や言い伝えなどから、次々と現場を踏査。城郭の遺構の探索や、周辺の地勢などを目測、歩測などで割り出して、写真撮影したり、スケッチしたり。冊子には〝幻の城〟の遺構や地勢のイメージを、空から鳥の目で見て描いた〝鳥瞰図(ちょうがんず)〟や、写真、地図などを入れて、わかりやすくした。
パートⅠは城山台(慶賀野、細川、胡麻生にまたがる)にあった「長藪城(ながやぶじょう)」、隅田町中島の「霜山城(しもやまじょう)」、胡麻生の「牲川(にえがわ)下屋敷」を紹介。パートⅡは隅田町垂井にあった「岩倉城」、隅田町山内の「尾崎城」、隅田町上兵庫の「岡山城」、恋野の「中山土井屋敷」、中道の「上田土居屋敷」、隅田町下兵庫の「松岡土居屋敷」、小峰台の「小峰寺城」、小原田の「小原田城」、吉原の「吉原城」、菖蒲谷の「松山城」、東家の「東家館(とうげやかた)」、向副の「贄川(にえかわ)土居」、学文路の「西尾山砦(にしおやまとりで)」、学文路の「薬師寺山砦(やくしじやまとりで)」、学文路の「畑山城」、高野口町の「名倉城」、高野口町の「名古曽城館群(なごそじょうかんぐん)」、高野口町の「大野土居」、を紹介している。
また、橋本市内に想像を絶する城があった理由について「それは鎌倉時代(1192~1333)に、隅田党を組織する(時代により異動があるが30家前後)武士団が栄え、それぞれが小領主として、防備を凝らした居館や、詰の城(純戦闘用の山城)を擁していた事実。さらに、織田信長の〝高野攻め〟に対する、高野勢が築いた城、砦、見張所など。また、河内国、紀伊国の守護大名、畠山氏の家督争いの内紛による、備えの城の存在が主な理由と思われる」と記している。
吉田さんは2000年ごろ、「和歌山県の城」(郷土出版社)という本に、橋本の「長藪城」や「銭坂城」など10数城が掲載されていたことから、中世の城に興味を持った。郷土史家の瀬崎浩孝さんと一緒に、少し現場調査を行った後、橋本市内の城の調査が未完成であることを痛感。「約40数城あったと推測される橋本の城を、系統的調べてまとめよう」と決心。黙々と調査を続けてきた。
パートⅠは、もともと橋本市野の「あさもよし歴史館」の館報に毎月1回連載していた「橋本市の城散歩」をまとめ、2004年に500冊発行した。これを受けて今回は、パートⅡを300冊発行した。
吉田さんは「橋本の城を網羅するつもりでしたが、〝赤塚土居〟〝榊山城〟〝小島土居〟など、まだまだ積み残した城が沢山あります。また機会があれば…と、しぶとく心に期すところです」と言っている。
冊子は無料。橋本市郷土資料館(橋本市御幸辻786)(電話・ファックス=0736・32・4685)に置いている。

更新日:2011年9月9日 金曜日 01:46

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