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コロナ禍去れば「街頭紙芝居」再開♡橋本出身の紙芝居師・つるちゃん

和歌山県橋本市出身の街頭紙芝居師つるちゃん=鶴谷光子(つるたに・みつこ)は、長引く新型コロナ禍の中、「街頭紙芝居活動」を休止しているが、今年コロナが終息次第、ふる里・橋本地方で「街頭紙芝居・口演を再開したい」と誓っている。

つるちゃんは大阪府高槻市在住で、大阪市西成区花園南の一般社団法人・塩崎おとぎ紙芝居博物館会員。

つるちゃんは約2年前、橋本市傷痍軍人会会長の故・阪口繁昭(さかぐち・しげあき)さんの偉業を紹介する紙芝居を製作した。

阪口さんは昭和19年(1944)、満蒙開拓青少年義勇隊に入隊。陸軍二等兵として中国・ソ連の国境で転戦したが、同20年(1945)8月、ソ連兵に日本敗戦を告げられ、シベリアへ強制連行。マイナス40度の極寒の地で、鉄道建設や材木伐採・搬送などに酷使され、多くの戦友が祖国・家族を思いながら逝去した。

同21年12月、帰国が決まった際、阪口さんは決死の覚悟で、1個師団80人の日本人捕虜の「戦友名簿」を、ソ連兵に極秘で作成。無事持ち帰って、可能な限り家族に「戦友存命」を伝えてきた。

また、米軍機・銃撃による橋本駅の犠牲者6人の住所・氏名を独自調査。同駅・跨線橋(こせんきょう)の弾痕が残る板壁を近くの丸山公園に移設、そこに自費で慰霊碑を建立。ひたすら6人の安寧を祈ってきた。

つるちゃんは、阪口さんの戦地での苦闘ぶりを紙芝居「凍りの刀(こおりのやいば)」(7部構成、約170枚)と題して綺麗なアクリル画で表現。

橋本市古佐田区民会館で、阪口さんらを招いて初披露。市内各種団体役員約30人から、「阪口さんの健闘ぶりと戦友を思う御心が深い」と喝采を浴びた。

「塩崎おとぎ紙芝居博物館だより」(創刊号)によると、第二次世界大戦の直後、塩崎源一郎(しおざき・げんいちろう)さんは、「荒廃した世の中でも、子どもたちの心を明るくしよう」と、街頭紙芝居の絵元(制作元)としして紙芝居総合センターを設立した。

平成7年(1995)には、所蔵する約2万巻の原画を紹介する塩崎おとぎ紙芝居博物館を創設。塩崎さん亡きあとは、一般社団法人が活動を継承している。

つるちゃんは「コロナ禍が落ちついたら、橋本のあちこちで街頭紙芝居の口演を思う存分繰りひろげたい」と決意を述べている。

写真(上)は阪口さんの戦争・シベリア抑留体験の紙芝居を初披露するつるちゃん。

写真(中)はつるちゃんの紙芝居を見る阪口さん=前列左端=ら観客の皆さん=いずれも古佐田区民会館で。

写真(下)は子供たちに紙芝居を披露するつるちゃん新型コロナ禍前の橋本市古佐田区民会館で。


更新日:2022年2月6日 日曜日 18:06

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