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大正時代に学文路天満宮で女相撲♡古写真が証明

和歌山県橋本市学文路の学文路天満宮(かむろてんまぐう)で、大正時代に「学文路女相撲(かむろおんなずもう)」が行われていたことが、現存する1枚の古写真からわかった。

地元の畑野富雄(はたの・とみお)さん(75)は「郷土史にとって、誠に貴重な写真であり、大切に継承したい」と言っている。

学文路天満宮の菅野一三(すがの・いつぞう)宮司によると、「この写真は、おそらく大正初期から、拝殿内に掲示していた」と言う。

橋本市在住のフォトライター・北森久雄(きたもり・ひさお)さんは昨年秋、貴重な写真に気付き、埃(ほこり)を拭い取ったうえ、カメラで複写した。

菅野宮司は今年、鮮明になった写真を改めて同神社のだんじり小屋に掲示・保存している。

古い写真には、同神社の境内隅で、首に日本タオルを巻いた、化粧まわし姿の女性10数人が、颯爽と並んでおり、写真の裏には「大正14年 御大典記念 学文路女相撲(人名)」と題し、頭取(広田〇〇)(梅本タケ) 行司(前阪恵次郎)(西畑〇〇) (奥西熊之) 総後見(広畑松之助)=〇は無記部分=と書かれ、大錦(児島カツ) 梅ヶ谷(沢ハル) 小錦(松岡ユキ) 千丹川(坂松原トラ) 松の音(山本ヤス) 国見山(広畑コト) 西の海(西畑ハルエ) 二瀬川(松広タケ) 加古川(広畑キヌ) 高根松(高橋コウ) 小深川(井上トラ) 朝日松(木下ウタワ)と、しこ名と本名が記されている。

今のところ「学文路女相撲」の詳しい資料はなく、

真相は謎につつまれているが、この写真から、同神社境内で、珍しい「女相撲大会」が開かれていたことは間違いなさそう。

地元の高野山真言宗西光寺(さいこうじ)総代でもある畑野さんは、「西光寺には昔の力士さんのお墓もあります。「大正4年と言えば、100年以上も前ですが、その頃の女性力士の子孫は、大勢おられるはずです。先ずは北森さんの複写写真も西光寺で御住職と相談して掲示保存、ふる里の歴史を伝承したいです」と話していた。

写真(上)は大正時代の「学文路女相撲(かむろおんなずもう)」の古写真。写真(中)は今、水仙も咲いている学文路天満宮。写真(下)は土俵を築き「女相撲」が開かれたと思われる学文路天満宮の境内。


更新日:2022年2月2日 水曜日 09:56

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